「推し活」に見るFiの社会への反逆

 ちゃんとMBTIに言及しているのでしばらく我慢して読んでほしいです

 「推し」という概念をいまいち理解できません。
 それはお前がおっさんだからだろと言われたらまあそうなんですが、それならなぜおっさんになると「推し」を理解できなくなるのでしょうか。wikipediaによると、「人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物」を指す言葉らしいです。まあそれは漢字からある程度意味を推測できるのですが、そんな言葉わざわざ新しく作らなくてもいくらでも見つかります。この定義そのままでいいのなら、カジュアルさとのバランスを考えると「おすすめ」で充分な気がします。
 でも決して「おすすめ」と同じ意味ではないからこそここまでひろがったのだろうということは容易に想像できます。であれば、新しい概念として気合を入れて捉えなければなりません。これがどういうものなのか、自分なりに理解していきたいと思います。まずは言葉の変遷をたどっていきましょう。

漢字の語源

 「推し」という言葉以前に、当然日本語としては(多分)古くから「推」という感じは使われてきましたので、まずはこの漢字のニュアンスから掴んでみましょう。
 ネット上の辞書によると、

 ①前へおし出す。おし動かす。「推敲(スイコウ)」「推進」「推力」
 ②おしあげる。えらんですすめる。「推挙」「推薦」
 ③うつる。移り変わる。「推移」
 ④いただく。「推戴」
 ⑤おしはかる。たずねもとめる。「推察」「推量」

「推」とは? 部首・画数・読み方・意味 - goo漢字辞典

という意味があるようです。
 この中で言えば、②(または①)が強く「推し」という言葉と関係性がありそうに感じます。
 「えらんですすめる」のであれば、ますますおすすめでいいじゃないかという気がしてきました。どうやら漢字そのものから概念の本質に辿り着くのは難しそうです。

現在の用法に連なるアイドルファンによる使用

 まあそんなことは知っていました。
 「推し」は現在でも主にアイドルファンの間でよく使用される言葉ですので、ここを少しさかのぼりながら掘ってみましょう。
 厳密には更に太古から存在するようですが、一般的に知られるようになったのはAKBの人気が高まってからでしょう。かつてのAKBは個別のアイドルごとにファンを抱えて競わせていて、CD売上などの目に見える数字により常にアイドルたちが比較されていましたから、それぞれのファンがCDを買ったり周りに布教したりして、思い思いにアイドルを「推す」というイメージも浮かびやすいです。その結果、より「推された」アイドルはグループ内で有利な位置を得ますし、それに伴い周りの扱いも変わっていきます。
 そうなんです、「推す」という言葉は基本的にTe(外的思考)的なニュアンスを内包しているのです。「~に」「~を」という情報があって初めて成立する動詞ですから、基本的に周りへの働きかけを前提とします。
 前項に立ち返りますが、「推」という感じが使われる熟語を想像してみると、「推薦」「推挙」「推進」など、外的世界への自らの働きかけを前提とする意味を持つことがほとんどです。もちろん、「自分が好き(Fi)だから、良い人(Fe)だから~さんを推薦する」ということもあるでしょうが、「推薦」という言葉の本質は外的世界の様々な力学(物理だったり、政治だったり……)を利用して何者かを具体的に上へと押し上げる行為ですから、やはりきわめてTe的だと言えます。
 AKB時代の「推し」行為とは、当人たちの好き嫌いをベースにしていながらも、その本質としてはきわめて客観的な、公理(=数字こそすべて)に基づいた行為であったと言えるでしょう。
 これは、本来の「推し」のニュアンスとさほど変わりません。僕自身はAKBを好きではなかったので所詮よそ者ではありますが、少なくとも周りから見ていて「ああ、推してるんだなあ」という認識を違和感なく持つことができていました。漢字の持つニュアンスと彼らの行為にそこまで相違を感じなかったからです。

「推し」が持つニュアンスの意味的な広がり

 僕は最近この言葉に違和感を持つようになったのですが、要するに「好き」との違いがいまいち判りません。
 このエントリーを書くにあたって色々調べていましたが、こういう記事に出会いました。他の人が「推し」という概念について僕よりずっと前に考察していたようです。

Aさんは22歳の大学生で、「推し」は俳優の花塚廉太郎、芸人EXITの兼近大樹、バンド兼YouTuberのNon Stop Rabbitの矢野晴人だ。Rさんは21歳の大学生で、「推し」は韓国のアイドルグループのVIXXだ。

thesis2020_bunka3_goto.pdf (senshu-u.ac.jp)

 まず当時から兼近は推す必要なんてないくらい充分人気だったんじゃないのか……?という疑問が浮かびますが、いったんそれは置いておきます。注目すべきは次の記述です。

そして、インタビュー調査の結果から、ファンは“「推し」の概念(「推し」のイメージカラーやモチーフなど、「推し」が連想できる物)を買ったり、身につけたりすることで、「推し」を日常に溶け込ませていること が明らかとなった。

thesis2020_bunka3_goto.pdf (senshu-u.ac.jp)

 ごく最近まではTe的な活動の形容であったはずの「推し」ですが、ここでは当人の日常生活を豊かにするための行動に変化しているのです。少なくとも、この記事における考察ではTe的な外部への働きかけは感じられません。とにかく「推し」に囲まれることで自分の心が満たされることを目的にしているように見えます(だからダメだという訳ではありませんよ)。
 これは2020年の記事なので2021年の流行語である「推し活」は出てきませんが、これは「推し活」以外の何物でもない描写だと思います。もちろん僕が新たに調査することはできませんが、近年定着してきた「推し活」という言葉が内包する活動には、こういった行為が多分に含まれているように感じます。そして、僕が持つ違和感もこういった部分に由来しています。「推してないじゃん」「オタ活でいいじゃん」と思ってしまうのです。そして、元々感じていた「推しなんて使わないでもおすすめでいいじゃん」という疑問も未だぬぐえていません。最近では、自分の好きな家具や家電にも「推し」を使うようです。それこそ「おすすめ」じゃ何がダメなんだと思うのですが……これは一体どういうことなのでしょうか。

Fiによる社会への言語的な反逆

 ここまで話を進めて来てこう感じました。物騒な言い方をしますがそういう側面は否定できないのではないかと思います。
 Fi:内的感情は、論理を超えた自らの心の安定を最も優先的に考える判断機能です。Fiを優性機能として持つのはXXFP型ですが、そんなこと関係なしに人間誰しも理屈じゃない好き嫌いは存在します。しかし、社会の制度はことごとくFiに対して冷淡です。法律だったり、会社だったり、人間関係においてだって自由に好き嫌いを表現できないことも少なくありません。人と関わる限り必ずTeが付きまとい、多かれ少なかれ外部への客観的な働きかけを求められます。その過程のどこかでFiはTeによって虐げられ、自分の感情を我慢しなければならないのですが、我慢しなくていいのであればその方がいいに決まっています。そして、そういう社会である方が健全に決まっています。
 「推し活」という言葉の発明は、こういった思考の結果であるように思うのです。その外部への承認プロセスを行動ではなく言語に求めるのです。
 つまり、外部への働きかけとその実行というニュアンスを前提に持つ「推す」という言葉を使いつつ自らの感情を表現することによって、少なくとも言語の上においては「自分の好きなものは周りに承認されて当然である」という信念を表明することに繋がります。だからこそ、「~を推す」という点は強調しても、「~に推す」という点は必ずしも意識されません。
 自分の世界で完結する「好き」という言葉と差別化されなければならなかった理由はそこにあります。「好き」だけでは満足できなくても、「自分はこれが好きだ」ということをとりあえす社会に表明できる体さえ整えられたらそれでよいのです。わざわざ「推し」という概念が新しく生み出される理由はそこにあるのではないかと思います。

おじさんもFiは大切だと思ってるよ

 Fi的な思考は誰しも持ち合わせているものであり、また、その好き嫌いを他人から承認されることを欲しています。僕は表面的には自分の好きなものを貶されても平気ですが、心底バカにされるとやはりいい気はしませんし、何なら周りにも認めてほしいと思っています。NT型なので悪趣味なものばかり好きですが、それでも社会で適応するために「こんなもの好きでいてはいけない!」などとは思いません。
 だからと言って推し活をしたい訳ではないですが、自分が好きなものを好きなままでいたいし、それを堂々と公言したいという気持ちは大いに理解できます。
 Fe、Te的な考え方は依然社会で猛威を振るっています。人間社会が円滑に活動するにはやむを得ない事でしょう。しかし、近年ではFi的な感性を尊重する機運も生まれています。
 余談ですが、このNoteでは更新のたびにいろんなメッセージが送られますが、よくFiに寄り添った言葉を送ってもらうイメージがあります。僕としては「創作が継続できていてすごい!」って機械に言われてもなんとも思いませんが……笑 しっかり読んでくれる人に褒めてもらえると嬉しいのでよろしくお願いします。

 ともかく!より多くの人間が幸せになることは間違いなく喜ばしい事なので、この期を逃がさず様々な人が社会に健全なコミットができるよう突破口を見つけていってほしいですね。我らがENTPを含めてNe優性の人も今後救われて行ってほしいものです笑

受験に古典いるいらない論争の的外れさ

 今回はMBTI関係ありません。

 またひろゆきが足りない知識でなんか言ってます。

【古文漢文】「要らなくないすか?」ひろゆきがぶち上げた"オワコン論争"物議に…なぜ必修課目?カリスマ古文講師&ブルガリア出身の研究者と激論【受験】【義務教育】|#アベプラ《アベマで放送中》 (youtube.com)

 アベマがセンシティブなテーマで現役の古典講師を呼んでまた見世物にしていますが、そもそもこのタラコを含めて全員論点がずれてます。正確に言えばこのタラコは「優先順位としてもっと学ぶべきことがある」と言っているのですが、その古文漢文の代替案としてPCスキルやお金の知識を挙げています。そこまで確認すると一見もっともらしい事を言っているような気もするのですが、そもそもなぜ現在の教育課程において古文漢文が必修となっているのでしょうか。実際古文漢文を学ぶ意義はあるのでしょうか。

 古文漢文を学ぶ理由(政府目線)

塾講師目線で古典学習は必要?不要? (youtube.com)

 古文漢文を学ぶ第一の理由は、国の思惑です。この動画では要するに「古文漢文を学ばせることで日本人が祖国の歴史や文化にポジティブな感情を抱くようになるのではないか」という実にふんわりとした話がされていますが、これは半分正解で、半分不正解です。

 単純な話ですが、高校の勉強や受験勉強を通じて日本の事を好きになった人はあまり多くないと思います。漢文はまだストーリー展開が明確で理解できれば楽しいとも思えますが、そもそも漢文で扱うのはほとんど中国の故事であり、肝心の古文は現代語訳を見ても大して筆者や登場人物に共感できることはあまり多くないように思います。

 所詮個人的な意見かもしれませんが、実際指導していても古文のストーリーを面白がっている塾生はあまり多くないです。それよりも複雑な敬語や時代背景に振り回されて古文を嫌いになってしまう生徒の方が圧倒的に多いのではないかと感じています。この動画では「古典で扱う価値観を共有しているから皆良いものだと感じる」とまとめられていますが、良いものだと感じている生徒などほとんど見たことがありません。

 つまり、古文を学んだとしても、それ自体が日本そのものにポジティブな感情を抱かせるようなものではないという事です。

 国の思惑はそこにはありません(あの文部科学省ですから本当にそう考えている可能性もありますが)。大切なのは、古典を教育課程に組み込むことで国民の統合を促進するという事です。

 「日本人」とは、自然に発生した概念ではありません。現在存在する国民国家すべてに言えることですが、国民の意識は国家からの積極的な働きかけによって初めて意識の中にその輪郭を表します。その強力な手段として、言語が用いられることはきわめてよくある話なのです。

 他の国もその「国民意識」や「アイデンティティ」なるもののために多大なコストを払っています。例えば領土内に多数の民族を抱えるインドネシアでは国民統合の手段として本来ほとんど用いられていなかったインドネシア語を普及させることに尽力していましたし08chap4.pdf (pref.aichi.jp)、このタラコの大好きなフランスだって、国民統合のために「国語としての」フランス語を重要視しています12-3_nishikawa.pdf (ritsumei.ac.jp)

 つまり、「正しい」国語を教えるということは、国家にとってそれだけ大きな利益を生み出すのです。何であれ国家として「正しい」ものが存在すれば楽でしょう。何となく国家的な権威を背景にして価値観を決定づけてあげれば国民は自然とその方向を向いてくれるのですから。言語というものはほとんどすべての国民が使用しますから、それに「正しい」が存在することに越したことはないのです。

 現在の教育課程においても古文や漢文が重要視されていることを考える上で、この視点は絶対に見逃せません。「あるべき」「標準的な」「均質な」国民を生み出す努力を国家は怠らないわけにはいかないのです。

 そもそもこのタラコは現代文の重要さについては「日頃生きていくうえで大切だから」という観点から認識しているようですが、現代文の重要さはそういう話で留まるものではありません。国家として「標準的な」日本語を「均質に」日本国内に広めるということに意味があるのです。

 古典教育の重要性はその延長線上において語られなければなりません。言語政策とは、国民の統合という国民国家の原理的な使命と決して切っても切り離せないものであり、現代社会を生きる上で使える知識かどうかとは別の次元で語られなければならないものなのです。現代の「あるべき」国語の元となった言語を理解することで、「あるげき」現代語の輪郭が理解できるようになるのであれば、国家からすればそれを学ばせない手はないのです。古典を学ぶことで「何となく風流」に見えることを学ぶことがいいというよりも、その古典から当然に導かれる「何となく正しい」とされる日本人像を政府は国民、少なくとも高等教育を受けたエリートたちには持ってほしいのだと思います。国公立大学がかたくなに受験科目から古文を外さない理由はそこにあるのではないかと考えています。

 古文漢文を学ぶ理由(受験生目線)

 国策として古文漢文が教育課程に組み込まれている理由は分かった。じゃあ各人それぞれが学ぶ理由があるのかと言えば、正直なところ、「なくはない」程度でしか語れないのではないかと思っています。

 漢文はあると思いますよ。どの小話も筋が通っていて、今の時代から見ても少なくとも現代に残る儒教的な価値観を理解する上で一度学んでおいて損はないと思います。一方で、「王侯将相いずくんぞ種あらんや」などの単純に読んでいてテンションの上がる文章も多いです。一方古文はあまりに現代的な価値観から離れている小話も少なくないので、どうしても大学受験のために機械的にこなさざるを得ないケースも多いと思います。正直に言ってここは擁護のしようがないかもしれません。

 そもそも日本史は歴史的に見て室町以前と江戸時代、江戸時代と明治以降で断絶が大きいですから、当時の文献の意図するところが今の時代の感性とはかけ離れてしまっていることが多いので、現実的な活用については諦めた方がいいでしょう。とは言え古文は今まさに我々が扱っている言語の元となった言語なわけですから、今後何に興味を持つのか分からない以上言語における歴史的な背景を知ってても良いのかもしれません。また、言語を通じてこれまで理解できなかった感性に目覚めることがあるのかもしれません。タラコの言う実践的な知識は普通に生きていれば大学生や社会人になれば嫌でも目にするものがほとんどであり、必要があれば当人に主体性があれば自然と身につくものばかりですが、学生時代に古典を素通りしてしまうとそれこそ一生触れることができないものばかりです。正直なところそれでも不要と言えば不要なのですが、国策である以上我々がどうこう言ってもどうにもならないわけですし、腹を据えてしっかり取り組んでいくことで、のちの人生が思いがけずにより豊かになっていくのかもしれません。

 まあ個人的には情報と選択にすればいいのにとしか思いませんがね。実質的な義務教育で扱うにしてはどっちもどっちだと思います。

MBTIで相性まで考えだしたらそれこそ占いと変わらんよ

相性論っておかしくない?

 元々相性どうのこうのはソシオニクスの理論だそうですが、僕はソシオニクスにはあまり明るくないので、ここで取り上げるのはMBTI界隈でささやかれる相性論に限定します。

 双対関係だの、活性化関係だの、教師と生徒の関係だのよく言われていますが、正直全く実践で使えないのではないかと思っています。

 そもそもこういう相性論を広めるにあたって、広める側の知識が不足していることも問題でしょう。我らがENTPと最も相性がいいのはISFPだとするページがとても多いですが、ぶっちゃけて言いますが僕はISFPが苦手です。理由はいちいち書きませんが僕が触れ合ったことのある限りでは全タイプで一番苦手と言っていいかもしれません。僕と似たような性格の人間がISFPと相性が良くなるイメージすらつきません(INTPであればまだマシでしょうが、「最高の相性」からは程遠いとしか思えません)

 どういうことかと思って調べてみたら、ソシオニクスではI型の場合はpとjが反転するという議論があるとのことでした。もっと深く言えば、MBTIであれば判断基準が内面(Fi/Ti)か外面(Fe/Te)かでPとJは決まりますが、ソシオニクスの場合はメイン機能を基に判定することから、INFJの場合はNiメイン機能のため、ISFJの場合はSiメイン機能のためp判定になるとのことでした。

 どうやら、この理論を知らずにソシオニクスの相性理論からべた書きで「ENTpとISFpは相性抜群!」と書いている人が多いようです。

 そもそもこのP/Jスイッチ自体議論の多い論点であるようですが、そもそも「MBTIに相性論は存在しない」ということは調べればすぐわかる話です。誰でも情報を発信できるこの時代には、フェイクニュースは決して対岸の火事ではないようですね。

 ENTPにとってISFPが最高の相性ではないことは分かりましたが、それではISFJはどうなんだと言われると、やはり諸手を挙げて「相性抜群だ!」とは言い難いような気がします。もちろん、ISFPよりは断然に相性がいいです。僕のマイペースさにイラつきながらもなんだかんだで許してくれるところが好きです。しかし、どうしてもSi優性のためNTP型特有のブラックジョークとは致命的にそりが合わないような気がします。僕の大学時代のほぼ唯一の友達がISFJで、たまに会ってもとても楽しく話せるのですが、あまり背中を預けていられるような感覚はありません。もちろん、それは僕とその友達という極端に特殊な関係正常の話でありますから、「一般化して考えた結果ENTPとISFJは相性が良くない!」というつもりはありません。ですが、相互にすべてにおいて心をゆだねられる関係になるかというと、一概にはそう言い難いのは間違いないと思います。

 もちろんすべてにおいてとは限りませんが、感覚としてはINFJやINTJとは特に相性が良いように思います。大抵の場合ISFJを含み相性論に関係なくその他のタイプとも問題なく接することが出来ると感じているのですが、これはいったいどういう理屈から来るものなのでしょうか。

 相性なんて重視している心理機能次第

 例えば「双対関係はお互いを補い合えるから最高!」とよく言われますが、双対関係とは何でしょうか。

 (あくまでMBTIの理論に則って話を進めますが)例えば我らがENTPであれば、上記のjpスイッチを前提とするならばISFJが最も相性の良いタイプとなります。

 ENTPは外向的直観Ne-内向的思考Ti-外向的感情-Fe-内向的感覚Siという機能を備えていて、これらは機能の強い順に並べられているということになります。これがISFJであればこれがSi-Fe-Ti-Neという順番になります。すなわち、「弱い機能を補い合っているから最高の関係!!」という考え方です。

 一見なるほどと思ってしまいそうなものですが、実際の生活に照らしてみるとあまりしっくりきません。もっと単純な例を挙げるとコンプレックスを考えてみてください。大抵誰かに対してコンプレックスを持つ時って、自分が苦手に思うことを難なくこなす人(あるいは生まれつき恵まれている人)に対して持たないですか?その上で、自分の強みが正しく評価されていないと感じるときはそこを突破口として他人に対して敵意を抱くものです。

 もっと言えば、相手との関係性においてそういう感情など簡単に変わってしまうものでしょう。例えば恋人に求めるものと部下に求めるものでは必要な機能は大きく変わってきます。部下が言われたことをきっちりとこなしている(=Si)とかわいいものですが、ENTPの恋人がそれだけではウマが合わないというものでしょう。

 もっと言えば、恋人に何を求めるかという事ですら一般化することは不可能です。Niによる洞察を求めることもあれば、Neによる話の広がりを求めることもあるでしょう。Seによりその瞬間瞬間の感情を共有したくなることもあるかもしれません。Te/Feによる客観的な意見が必要なこともあるでしょうし、Tiによるひたすら怜悧な意見やFiによる理屈を無視した無制限の同情を求めたくなる時もあるでしょう。「相性論」というと、自分を固定した上で相手のタイプを吟味することが限定になりますが、その実自分の心の在り方を固定することなど不可能で、その場その場で自分の心持をしっかり認識することが大切なのです。

 MBTIは自分の状況や感情ありき

 結局、最も自分の心にとって指針となるものを探求するためにMBTIを活用するわけですから、その自分の心が今何を求めているのかをしっかり定めておくことが大切でしょう。

 例えば業務上部下とコミュニケーションをとる場合は大抵TeやSiが前提となっている意見が欲しいはずです。そういった機能が弱い部下と接する場合は相応のコミュニケーションを考えなければいけませんし、友人や恋人と接する場合はもはや自分の状況や感情に応じて相手に求める心理機能がまるで異なってしまう事になると思います。もちろんこちら側もある程度節度を持っていることが前提ですが、究極的には自分の状況そのものや、心理機能ごとの発達具合によって相性など簡単に変わってしまうのではないかと思います。

 例えば、我らがENTPはINFJと相性が良いと相性論に関係なくよく知られていますが、Feが脆弱なままのENTPではINFJとは決してウマが合わないでしょうし、相性論上最高の相性と言われるISFJ相手でもあまりにも身の回りの世話を軽視するENTPではISFJとまさにバカにし合う関係になってしまうでしょう。また、なぜか僕の同僚になることの多いESTPですが、目的が似ている(=Ti)だけにその手段(=Ne/Se)において決定的にウマが合わなかったりします。相性論上は「目的が似ているから相性がいい」とされていますが、これは確信を持って言えますが、目的が似ているほどそのプロセスの違いが浮き彫りになるものです。これは僕の持論ですが、双方に共通しているFeが悪さをするのではないかと思っています。

 このように人と人の相性ほど一般化することが難しいものはないのです。MBTIは自分と相手の橋渡しをするツールと捉えて、双方の違いを理解するために必要なことを考えるきっかけとしていければいいという程度に考えるべきものなのかもしれません。

MBTI別性格悪いランキングとかさ、バカじゃないの いい人悪い人くらい自分で考えろ

実質的に前のエントリーの続編です。全部特に実践で検証したわけではなく、今のところ全部思い付きで仮説を書いています。何かまた分かったことがあれば追記していこうと思います。

 

fakesam.hatenablog.com

 

 これも、昼ご飯の話題として何の責任もなくやる分にはいいと思うんです。特に、普通の学校だったり多様性の乏しい企業のように他人に対して何となく「いい人」「冷たい人」「変な人」というレッテル張りをするのが普通になっている集団であれば、そういう考えも出来るでしょう。

 こういう読者層が多くいるTiktokまとめサイトでこういう話題が流行るのは分からなくもありません。

 でも思うんですが、みんなが「あの人は良い人だよ」と口を揃えて言っていたとしても言うほどその「いい人さ」を感じられなかったり、逆に「あの人は難しい人だ」と噂されていても話すとめちゃくちゃ仲良くなれたって事よくありませんかね?少なくとも僕はよくあります。

 だとすれば、「いい人」「悪い人」の基準を一般化する事なんて基本的には不可能であると思うのです。これは「陽キャ陰キャランキング」以上に認めてはいけない事じゃないかと思います。陰キャ陽キャは結局のところ思考プロセスの結果として生まれるその人の行動を指しているのであり、その人の評価それ自体に与える影響は限定的です。しかし、いい人悪い人となると話は別です。その人のすべてが裁判にかけられていると言っても過言ではありません。

 ……大げさに言いましたが、シンプルに考えてもいい人かどうかを判別する絶対的な指標があるなんて考えること自体馬鹿馬鹿しくないですか?「他人の人間性くらい自分で判断したら」と思ってしまいます。MBTIはあくまでのその人の思考プロセスや判断基準を理解するための補助ツールです。

 他人がいい人か悪い人かなんてのは、結局その判断をする本人がどういった情報を重視しているかに依存します。「いい人」か「悪い人」かなんて、本質的にはその人がどういう行動をしているかという要素すら決定的か怪しいものです。本人の行動そのものよりも、結局その判断をする人次第なのです。

 MBTI的にどういう区分けが出来そうか

 このブログではMBTIがテーマになっている以上結局一般化する方向に行ってしまうのですが、少なくとも判断者(=他人を「いい人」「悪い人」と判断する人)の性質ごとの傾向を確認することで、無責任でふんわりとした「いい人」「悪い人」が跋扈している現状に一石を投じることが出来ればよいと考えます。判断される側の具体的な人物像はここでは考慮しません。タイプ別の判断者がどういう人を好むかを考えるだけで充分だと思います。

 その上で、判断者をNT/NF/SJ/SPという"気質"で区分分けするのがしっくり来そうだと思いました。この区分けはよく知られていますが、これらは要するに"直観+論理"、"直観+感情"、"内向的感覚"および"外向的感覚"に分けるという手法です。そもそもなぜこういった区分けになるのかという話は長くなりそうなのでまた別でやります。とりあえずこの区分けで、それぞれのタイプがどういう人々を「いい人」と捉えるのか考えてみます。

 NT型が考える「いい人」

 文句なしに「話が通じる人」でしょう。NT型は論理性を重視するだけでなく、その論理の中に少なからず推論や予測を多く混ぜ込みます。なので、結論としてはよく聞けばとても筋が通っている事も多いのですが、その思考プロセスが複雑すぎるのでその結論に至る過程をしっかり周りに聞いてもらった経験はあまりありません。その説明を諦めて客観的な結果を出すのを優先するのがNTJ型(Ni+Te)で、まずは自分の理解を優先してそもそも周りに説明しようとも思ってないのがNTP型(Ne+Ti)です。なので行動の表出としてはNTJとNTPでやや異なるものの、こういうプロセスで物事を考えているので、自分の考えを理解してもらえると嬉しいのは同じです。

 特にENTJは自分の立身のために思ってもない人を"いい人"と言って周ることはあるかもしれません。

 またINTPは周りが"いい人"と言う人を特段疑うこともないでしょうが(自己の探求には関係ないため)、自分の思考プロセスを尊重してくれる人に対してはとてもよくなつく傾向にあると思います。

 INTJとENTPは……周りの"いい人"評を全く信頼していません笑

 NF型が考える「いい人」

 「自分及び他人の洞察に寄り添える人」と言えるかもしれません。NFJとNFPでは判断機能がFi/Feに分かれます。INFJ/ENFJは予想通りでしょう。ただただ感情に寄り添うだけじゃなくて、その感情の根っこにある部分まで包摂できる人かをしっかり見ています。そこが不十分だったり、なんなら表面だけを捉えて共感するような人に対しては、他人が何と言おうが「いい人」と思わないかもしれません。

 INFP/ENFPのメイン判断機能であるFiはマイペースとよく言われ、INFJ/ENFJの対極にいるような気もするのですが、彼らはもう一つの優性機能としてNeを持ちます。これは他人の挙動から洞察を得る上で非常に強力な機能ですから嫌でも周りの視線をキャッチしてしまいます。つまり、自分とつながりのある相手に対して無関心でいられないのです。すなわち、いわゆるジブンゴトに対して周りがどう思っているのか、その思考プロセスを含めて気にならざるを得ないという点で、INFJ/ENFJと同じように「感情に寄り添うだけではダメ」でしょう。

 SJ型が考える「いい人」

 「一般的な常識の範囲内でいい人と言えるか」でしょう。
 自己弁護させてください。このエントリーの導入と組み合わせるとこれまでSJ型の悪口を言ってきたような格好に見えるかもしれませんが、もちろんそうではなくて、僕が憎むのは「いい人悪い人の判断基準を普遍化しようとする人」です。彼らは彼らで、MBTIの性格いい奴悪い奴ランキングを鼻で笑っていることも多いでしょう(特にSTJ型)。

 SJ型はそういう事ではなくて、素朴な感覚として一般的な判断基準から他人を自分にとってもいい人だと捉えます。「しっかり挨拶をする」「上下関係をしっかり守れる」「現実に即して説明が出来る」など、こういう社会生活において当たり前なことをしっかり出来るかどうかが最優先事項となります。周りの「いい人」評に対しても、ある程度「他人がそう言っているんだから嘘ではないだろう」という前提で向き合いますが、本人の常識に当てはまらない人であれば必ずしもその評判を妄信しません。

 その上でSTJ型であれば「不確かな仮定で物事を言わない人が好き」だったり、SFJ型であったら「周りの輪を乱さない人が好き」だったりします。

 SP型が考える「いい人」

 Se:外向的感覚を持つことで共通していますが、比較的SP型は他グループと比べてタイプごとの差が大きいように感じます。例えばESTPなんかはSeの影響が強く、その場のノリを共有できるかが判断基準になることが多い気がします。

 一方でESFPもSe第一機能なので同じかと思いきや、意外とFiのためか懐が広く、ノリが良くなくても自分に付き合ってくれそうな人なら「あの人は言うほど悪い人じゃないかもしれない」と捉える傾向があるようです。INFP/ENFPが時に地に足のついていない洞察で勝手に他人を好き嫌いするのと好対照です。

 ISTPとISFPはザ・マイペースでよく知られていますが、ISTPは話のつじつまが合っていればわざわざ相手を嫌うということはないようです。毎年多くのISTP生徒が入塾してきますが、あまり人間性を見てくるという印象はなくて、ひたすら「この人の言う事に納得できるか」ということだけを考えている印象があります。

 ISFPについては、ある程度自分の感情に寄り添ってくれそうな人であればあまり好き嫌いしない気がします。

 ISTP/ISFPいずれも共通しているのは、そもそも他人の人格に対して"いい人""悪い人"というレッテルを貼ることがあるのか疑問だという事です。彼らの言う「いい人悪い人」論は、他のタイプに比べてもずば抜けてぼんやりしたものだと思います。何となく相手を「いい人」だと認識したからと言って、特段本人の行動が変わるということもありません。

 まとめ

 あまり多くの字数を費やしてもしょうがないのでここらへんで切り上げますが、「判断者」のタイプ次第でこれだけいい人の基準が変わるのです。それを普遍化して「性格の良いMBTIランキング」を作ることがいかに無意味なことかよくわかります。

 所詮ここまで書いたことはほとんど仮説だったり僕の経験から来るものに限られますが、普遍化することがとても難しいテーマであることくらいは分かるでしょう。

 また、「いい人とはどういう人か」という判断基準が人それぞれであるのであれば、「良かれと思って」行動するパターンも相応に多岐に分かれるという事を忘れてはなりません。よかれと思って行動したことでも、どう受け取られるかは相手次第なのです。

 自分が行動する側にせよ行動を受ける側にせよ、人によって好みが違う以上、相手の親切に即座に100%反応することは難しいかもしれませんが、相手の言動及び行動とそれに対する自分の対応を絶えず反省することで、少なくとも自己の視野は広がります。相手の行動を毛嫌いするのはその後でも全然間に合うのです。

 その上で、相手に改めてこちらからアプローチをかけるのもよいですし、考えた結果距離を取る方がいいと思ったのであればそうすればよいのです。

 説教臭いかもしれませんが、自分の事を真剣に考えてくれる人とのつながり程貴重なものは世の中にそう多くないものです。

 一方で、特に何の目的意識もなくあなたと関わっている人も多く存在します。あるいは一方的に何かを搾取しようとして交友関係を維持していることもあるかもしれません。

 一概にそういう人間関係を切るべきというつもりもありませんが、安定的な人間関係(=いい人との関り方)においてギブアンドテイクは基本中の基本でしょう。相手がどういう意図であるかというのはコントロールできませんが、少なくとも自分がそれぞれの人間関係において「何をギブし、何をテイクしているか」と見つめなおすのは大切な作業です。

 それをMBTIをタイプ別に振り分けて一緒くたに「いい人」「悪い人」と区別しているようでは自己の内面世界をわざわざ危険にさらしているようなものでしょう。繰り返しますが、MBTIは自己や他社の理解を助けるツールにすぎず、内面のルールとはなり得ないのです。

 MBTIをエンタメとして楽しむのは、こういう思索の後にのみ許されることだと思います。MBTI自体はある程度しっかり普及してきているとは思うので、あとは公式の人たち頑張ってね

IとEを陰キャ陽キャで括らず再定義したい

 安易なレッテル貼りをすると何かを理解した気になりやすいので、こういう分析に走りがちですし、情報を求める側も即座に理解できる分析を求めがちです。とてもセンセーショナルで話のタネにはなるのでしょうが、少なくとも情報を与える側は注意を払う義務があるのではないかと思います。

 間違ってもアクセス数を稼ぐために特にプロセスも示さずに陰キャランキングなどを作って読者を扇動するような人間にはなりたくないものです。

 レッテルではなくその人の思考プロセスから判断すべき

 例えば陽キャの極みであるお笑い芸人やアイドルにも相当数Introvertedな人は存在します。そういう人は当然ながら学生時代ほとんど「陽キャ」に属していたわけで、その時点でI/E=陰キャ/陽キャ論は矛盾です。

 周りを見てもらっても、飲み会が好きで常に楽し気な人を全員Introvertedだと判断すべきかと言えば、必ずしもそうではないと思います。いや傾向としてはありますよ。ここで言ってるのはI/E=陰キャ/陽キャという等式が完全であるかのような風潮に文句があるという事です。

 陰キャ陽キャ論というのは本人の表面的な行動をあくまで周りから見た結果であって、その人の思考プロセスを反映していないという点に問題があります。

 結果としての陰キャ陽キャ論は否定できない

 とは言え、傾向としては完全に否定するようなものではないと思います。

 僕は自認ENTPですが、ネットの診断では百発百中のINTPです。INTPと言えばどのランキングを見渡してもオタクキングとして君臨していますし、ENTPもEの割には一人の時間を大事にするタイプとして知られています。そして、お前は陰キャ陽キャどちらかと言われたらノータイムで陰キャです。

 また今ネットで16personalitiesがこれだけ広まっていることを考えると、その診断結果に強く不満がある人はさして多くないと言えます。それを単純化した結果としての「I/E=陰キャ/陽キャ論」の広まりだと考えられるでしょう。

 それでも再定義する意味は?

 皆困ってないならわざわざ再定義する意味なんかないじゃないかと思う人もいるでしょうが、僕はそう思いません。なぜなら、繰り返しになりますがそのレッテル張りにはその人の思考プロセスが反映されていないからです。

 僕にとってこのブログを続ける意義は心理プロセスを考慮したMBTIの実用化です。休み時間の話題にするのではなく、他人との関わりの中でより深い部分で相手の行動パターンを掴みたいという観点から考察したいのです。

 またこの再定義により、陰キャの僕がなぜこういった仕事で現在やりがいを感じているかという自己探求にもつながるかもしれないという考えもあります。実は陽キャなのかもしれない?それはあり得ません。

 心理機能を見直してみる:I型

 I型とされているタイプは、いずれもFi、Ti、Si、Niを最優先機能とする者たちです。これらの中でもFi/Tiは判断機能、Si/Niは認知機能なのでそういった違いはありますが、じゃあそれらの共通点が何なのかを考えてみましょう。

 Fi/Tiの共通点は実に明快です。いずれも自己の感性を最も優先的な判断基準します。そういう基準が確立されているうえで、それに基づき第二機能であるNeやSeを使って必要な情報を収集していくのです。なので、これらの第一機能を持つINFP/ISFP/ISTP/INTPはとても自律的でマイペースだと言われます。まあこの時点で=陰キャでないのは明らかなのですが、それなら「マイペース」と定義すべきかというとそういう訳でもない気がします。

 Si/Niを第一機能とする者たちはINFJ/ISFJ/ISTJ/INTJと、INTJを除き一概にはマイペースだと言えません。それなら彼らがIntrovertedな人間である所以は何なのでしょうか。

 NやSは判断機能ではなく認知機能であり、これはその人が持つ価値観や世界観のバックグラウンドとなるようなデータを集める機能です。Siは現に明らかに存在する概念や自分の中で当然とされている常識を、Niは自己の中で積み重ねてきた洞察を判断のデータソースとして最も重視するということになります。彼らはまずその自分の中に存在するデータソースをしっかりと明らかにした上で、次は外的世界に合わせて判断の輪郭を作っていくのです。

 なんか同じような同じじゃないようなもやもやとした気分になりますね。ただここで間違いなくI型の人たちに対して言えるのは、「思考プロセスがまず自分ありきである」ということでしょう。

 Fi/Ti第一機能の者たちは内面の判断基準が最優先されるため言うまでもありません。イメージ的にもとてもマイペースな人たちで、あまりズレは感じられません。

 一方で、Si/Niを第一機能とする者たちはどれもJ型でしっかり者のイメージがあるのですが、実はその判断のもととなるデータは主に彼らの内面に存在しているのです。

 もちろんこれは絶対的なものでなくグラデーションなので、彼らも外部からの情報も取り入れるのですが、彼らの場合それは内面的な「常識」だったり「洞察」を形成する上で必要な範囲にとどまります。彼らはある程度外部から必要な情報を仕入れたら、あとは内面的な知的活動により自らが判断するべき方向性を吟味していく方が好きなのです。

 これは言い換えると、陰キャ陽キャかにかかわらず自己の確立のために比較的外部との関わりを必要としない」ようなタイプをI型と言えるのではないでしょうか。個人的にこの説明はかなりしっくりきます。

 例えばINFJやISFJはI型にもかかわらず第二機能Feのため世話焼きなイメージが強いですが、いずれも内面的に生み出された強固な「常識」や「確信」を基にしていると考えると説明がつきます。献身的であるためには、その献身性を擁護すべき内面的なデータベースの充実が必要不可欠なのです。

 心理機能を見直してみる:E型

 となると、E型の定義は陰キャ陽キャかにかかわらず自己の確立のために比較的外部との関わりを必要とする」ようなタイプとなります。それが正しくなるかを検証していきます。

 こちらもESTJ/ENTJ/ESFJ/ENFJのようにTe/Feを第一機能とするタイプはイメージが付きやすいでしょう。Teメイン機能であれば何事にも絶対的で客観的な公理が存在するということを前提に物事を考えますし、Feメイン機能であればとにかく他人の心と自分の心をシンクロさせることを最優先事項とします。いずれも他人に影響を与えることを強く志向するので、E型の陽キャイメージとあまり相違ないかもしれません。

 ※ただENTJについては前回のエントリーの通り見た目はINTPなどと大差ない事が多いです。

 

fakesam.hatenablog.com

 Ne/SeメインのE型についても、Ni/SiメインのI型よりはイメージ通りなことが多いです。

 Seというのは「今まさにこの瞬間」の情報を何よりも重視しますから、何よりも自分の五感で情報を集めます。その結果、アクティビティには他のどのタイプよりも積極的でしょう。SeをメインとするESTP/ESFPはその結果陽キャであると見えることが非常に多いのだと思います。彼らは他の誰でもなく自分で感じた外部の情報を何よりも自己のよりどころとするのです。

 NeメインのENTP/ENFPについては比較的陰キャだと言われ、特にENTPに関しては見た目や行動は完全に陰キャなことも多いです。それでも、「自己の確立のために比較的外部との関わりを必要とする」かと言われたら、確実にイエスでしょう。

 Neが第一機能ということはつまり「新たな洞察を得るのが生きがい」ということです。ENTP/ENFPはそのために外部との関りが自己の形成上前提となっていることが多いのです。

 例えばENTPである僕の例を挙げるとすれば、とにかく可能性を広げるために知識を収集し続け、「自分はこう思う」という結論を持つには持つのですが、常に新たな情報に対してオープンマインドなので、確信と呼べるほどのものは持たず、あくまでも自己の考えは不確定的であると考えます。外部世界が自己の形成に介入する余地を常に残しているのです。残しておかねば不安であるとも言えます。

 INTPが自分の感性を公然の前提とした仮説を立てることを優先するのに比べて、ENTPも確かに自分の考えに固執することはありますが、そういう状況の中ですら他者とのかかわりを重視する「姿勢」を崩すことはありません。もしかするとその方が質が悪いと言えるかもしれませんが、とにかく自分の中から他者を完全に排除することはないのです。

 ENFPも一度決めたらとにかく頑固ですが、特に周りの共感や承認を必要とするでしょう。

 いずれにせよ、自律的なTi/Fiを第二機能として持っておきながらそれ以上に外部からの目に見える以上のデータである洞察をキャッチせずにはいられず、常にその洞察と自身が持つ自律性とを戦わせなければならず、こういう過程で事故を肯定していかざるを得ないという意味で、Neメイン機能のタイプは悲しい業を背負ったタイプであると言えるかもしれません。

 まとめ

 ということで、I型とE型の区別は「自己の確立のために比較的外部との関わりを必要とするか否か」を基準にしてもよさそうです。

 特に判断機能を第一機能に持つタイプは見た目通り、イメージ通りの接し方で良さそうですが、認知機能を第一機能に持つタイプについては思考プロセスとその表出に乖離がありそうなので、深い付き合いをするならばある程度その思考プロセスにまで寄り添ってあげなければならない気がします。

 その中でもSeメインであれば今まさにこの瞬間のデータを最重視するためまだ寄り添いやすいですが、Si、Ni、Neをメインとする人たちは少なくとも時間軸として現在でなく過去もしくは未来を重視するので、周りからすると特に理解しがたいかもしれません。

 「外部との関りに対する考え方」が大事になるだろうと思って書き進めてきましたが、思いがけず「重視する時間軸ポイントの違いもある」という新たな洞察を得ることが出来ました。

 MBTIやユングのタイプ論は少なくとも直観的に大雑把なタイプ分けとしては非常に強力であるように思いますが、学術的に怪しい理論とされているため、あまり実践するための方法論が確立されていないように思います。ちょっとした会話の道具とするのでなく、どうせならレッテル貼りでなく実用に耐えうるように、こういった情報に接する人間は主体的に絶えず考察していかねばならないかもしれませんね。

 MBTI公式さんがもうちょいセミナー安くしてくれたらね

政治家で見るENTJ:泉房穂

 共通テストが終わったら終わったで生徒のメンタルケアなどもあって忙しく、ブログを書く時間がありません。次々と面談が舞い込んで息つく暇もありませんが、こういう時にMBTIを勉強しておいてよかったと思います。S/NやT/Fの違いはもちろん、T型でもTi持ちの僕とTe持ちの生徒ではちょっと考え方が違ったりして面白かったりします。まあそういう話は国公立の結果が出そろったらまた考えてみようと思います。今回のテーマは別です。

 元明石市長として最近ではよくテレビに出ている泉房穂さんです。最近ちょっと追いかけてみたのですが、とにかく面白いほど言動や挙動がENTJなので、特徴をまとめてみようと思います。

 

 1.見た目はそこまでバチバチではない

 Tiktokなどで見るENTJのステレオタイプは「バッチリスーツで決めたシゴデキお兄さん」ですが、実際のENTJは必ずしも「シゴデキオーラ」を発揮しているとは限りません。そこはESTPとかが気にする部分でしょう。

 泉は一見したところ「普通の関西のおっさん」という感じで、取り立てて見た目に特徴があるわけではありません。ENTJは信念と結果を何よりも重視しますから、特にその実現に必要不可欠ではないのであれば、普通以上に見た目に気を遣うことはないです。

 僕の知っているENTJは社内で教祖のようにあがめられていましたが、見た目だけで言うと肝臓の悪そうなただの太ったデカいおっさんでした。真のENTJは見た目ではなくビジョンや信念で周りを圧倒します。

 

 2.自分のビジョンに完全なる自信を持っている

 僕はこの記事を見てこのエントリーの執筆を決めました。

泉房穂・明石市長退任 3期12年の光と影 子育て支援で全国区に、再三の暴言摩擦招く | 総合 | 神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)

 >自身の政治手法について「『この結論が正しいので皆ウンと言えばいい』との気持ちがぶっちゃけある」と吐露。

 とのことです笑

 僕はネット上の診断の中ではNiが強いとよく出ていましたが、この人の言動を見ていると「ああこれが本物のNi持ちか」と感じます。

 Ni:内向的直観とは自分の中でひたすら考えを巡らせて一つの確信を持つという人間の性質です。ENTJは、Niにより考え抜いた結果たどり着いた結論を世の中の公理(客観的に誰が見ても正しい)と確信していますが、その思考プロセスの中には多分に直観や推定を含んでいるので、細かく言語化することが難しいのです。客観的な論証をしようと思えばできるのでしょうが、あまりのそのプロセスが複雑なので、いちいち説明を求められると「正しいんだから従え」という言葉しか出てきません。だからすぐキレるのだと思います笑

 そういう点で言えば、例えば橋下徹などは僕はESTJだと思います。橋本はよくENTJだと言われていますが、橋本は自分の主張を述べるときも反論する時も必ず明快なロジックを持ち出します。しっかりロジックを用意しているのはいかにもNT型のステレオタイプですが、基本NT型のロジックが明快なことはありません。もちろん明快に見せかけることはありますが、本人はそれを対外用に明快に見せているだけであって、本当にそれですべてを説明できるとは思っていないのです。

 ちなみにINFJ/ENFJもこの機能を持っていますが、彼らは熟考の上で時に公理を超えた結論に辿り着きます。「今の世界では正しいとされてる事じゃないかもしれないけどそれは今の世界そのものが絶対に間違ってるだけだ」という具合です。

 特に確信の強さで言うとINFJのイメージが強いですが、INTJ/ENTJはそれを公理だと捉えるという点でちょっと見え方が違うということです。

 

fakesam.hatenablog.com

 

 3.勝ち筋があれば信念の実現のためなら他人から嫌われても平気

 自分の信念を公理と捉えるがゆえに、とても強権的に映ります。議会からは相当に嫌われているように見えましたが、泉本人は全くそのことを意に介していないようです。

 自分の信念を公理と捉えるということはすなわち、それを物理法則と同水準の正しさだと捉えるという事です。つまり、自分の信念は物理法則と天秤にかけられるものであってかつ、物理法則と同程度に世の中に浸透すべきだと考えますから、泉からすればそれ以外の政治力学や人間関係の力学は全く考慮するに値しないのです。

 もちろん、自分の信念を実現するためには政治家として選挙に強くなければなりませんが、「市民はきっとわかってくれる」というこれもまた確信めいたものが最初からあったのだと思います。実際最初の選挙から既存勢力の影響を無視したとしても勝てるという確信があったようです。もちろん戦略をしっかり携えていたのもENTJ的ですね。

“泡沫候補”扱いだった明石前市長が「組織票なし」でも勝てると確信した理由 | ニュースな本 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

 現に市民の心をしっかりと掴み、市長選においては2期目以降無類の強さを発揮し、辞任後の後継候補も圧勝しています。

 上記のインタビューは、言葉は悪いですがちょっと狂気じみています。「理論上実現可能なこと」というのはほとんどの場合実行にすら移されませんが、本当に実行してしまうという点ではとても特異な存在だと思います。これがINTP/ENTPだと思いつくだけで多分実行には移しません笑

 

 4.抽象的な言葉を連発する

 これは上記と連続する話ですが、泉の話は文字数が多い割に複雑なロジックが出てきません。少し話が入り組みそうになると「方針転換」「市民のための政治」「お金を付け替えるだけ」という言葉を連発します。もちろんこれは本当に何も考えていないわけではなく、考えることが多すぎて具体的に一つ一つ説明していられないのだと思います。

 個人的にはどちらかといえば応援していますが、そういう点がそのうち目立つにつれてただのポピュリストに見られそうで憂慮しています。「任せてくれたら結果は出すんだから耳障りのいい言葉だけを聞いてただただ応援してくれればいい」と捉えられかねません。まあ本人が実際それらしいことを本当に言っているんですが笑

 ENTJは敵を作りやすいとよく言われていますが、ただでさえ強権的なのに説明をおろそかにするためにそういった点で足元をすくわれやすいのかもしれないです。

 

 5.思い込みが激しい

 ENTJ全体に見られる傾向ですが、例えばサラリーマンのように組織の論理を重んじる身分であるENTJであれば、この面はある程度カバーされます。ほとんどの場合上司が存在するのでうかつなことは言えませんし、ENTJは出世を重んじるので下手な減点がないように不確実な面では慎重にふるまうからです。

 しかし、泉はサラリーマンを経験しているものの、特に明石市長以降は組織の論理からほぼ解放されながら名声を高めてきたような人間ですから、そういったリミッターが外れてしまっているのかもしれません。

 特に暴言や軽率な言動にはENTJの本来の悪い面である思い込みが存分に出ています。Wikipediaでも長々と不祥事関連の記載がありますが、よくもまあ政治家が汚職とカネ以外でこんなに不祥事を起こしたなと思えます。

泉房穂 - Wikipedia

 上記にある通りENTJのメイン認知機能であるNiとは、とにかく自己の内面で確信を研ぎ澄ましていく機能ですから、気を付けていないと時に地に足がつかなくなり、思い込みで周りの顰蹙を買うような言動を起こしかねないのです。

 土地買収交渉の仕事が進まない職員に対して「火付けて捕まってこいおまえ。燃やしてまえ。損害賠償を個人で負え」と暴言を吐いて問題になったのは有名ですが、とてもENTJ的です。癇癪を起こした時も具体的なビジョンを見ていたのが見て取れます笑

 

 6.非現実的とも思える戦略を大真面目に語る

 これも上記で触れているのですが、ENTJは常に大戦略を描いています。ENTPほど独創的ではないとよく言われますが、筋が通っていれば突飛な戦略でも簡単に採用するのがENTJです。

 泉は上記の通り普通の人が考えもしなかった戦略で明石市長になりましたし、その退任後は(名言こそしませんが)どう見ても総理大臣を狙っているように思えます。

 下に添付した動画では、日本の政局を一変させる戦略を語っていますが、少なくとも政治力学的には無茶苦茶だと言えます。それでも、自分の確信をビジョンに落とし込み、あたかも正攻法であるかのように語ってしまえるその思考パターンが、まさにENTJの実行力の源泉となっているように思います。

 一歩間違えば質の悪い夢想家ですが、実力を兼ね備えたENTJであればそれを実現しまえるだろうと思わせるようなオーラを醸し出します。そして、時には本当に実現してしまうのです。

youtu.be

 

 まとめ

 ENTJは社会の王者というイメージが先行しすぎた結果、16タイプの中でもステレオタイプと現実の乖離が激しいタイプであるように思います。ビジョンや信念の強さとそれを現実のものにしたいという野心では比類のないタイプではありますが、ENTJであれば誰でも決して隙のない完璧人間というわけではありません。泉のような東大卒→マスコミ→弁護士→政治家というスーパーエリートENTJでも、わきが甘い部分があるのです。逆にそういうエリートだからこそ自己の信念に対する確信がより強まり、その結果ENTJのいい面も悪い面もむき出しになっているのかもしれません。

 また、社会的な評価に差のあるタイプでもあると思います。押しの強いタイプなのでそれだけで社会で成功する確率は比較的高まりますが、スペックの低いENTJであればその実は煙たがられるだけになってしまうかもしれません。信念だけでなく常に思い込みに寄らない客観的な実力を高める努力が必要でしょう。

 ENTJに強いあこがれを持っている人はぜひ彼を観察してみてはいかがでしょうか。

MBTIを実践で活用するには16personalitiesを当てにせずにNとSを見分ける方法を見つけることが一番大事

 16personalities相変わらず若年層に流行っているのですが、元々16personalitiesの診断は公式が怒るほど簡素ですので普通にミスタイプが起こります。

 どう見てもSだろうと思う人がNになったり、逆にどう見てもNだろうと思う人がSだったりするようです。前も書きましたが、個人的にはNとSの区分がMBTIを活用する上で何より大事だと思っているのでこれは困ります。

fakesam.hatenablog.com

 私は塾講師業務の補助になるようにMBTIを活用していますが、NとSの区分については間違えるとまずいのであまり他の診断は頼らずに自己流で見分けています。今回はその方法を紹介するのでもしよければ参考にしてください

 

16personalitiesにおけるN(直観)とS(感覚)の定義とその不十分な点

 なぜこういったタイプミスが起こるのでしょうか?16personalitiesの設問のうち、NとSに関係しそうなものは主に以下の通りです

・様々な面白そうな事柄について探究するために、多くの空き時間を費やす
・クリエイティブな作品の色々な解釈や分析の仕方についての議論には興味がない。
・結末を自由に解釈できる本や映画が好き。
・死後について、以前からずっと興味がある。
・人生の意味や人間が存在する理由について考えることはほとんどない。
・抽象的な哲学的問題についてじっくり考えるのは時間の無駄だと思う。
 ここらへんの設問がNとSに関係していそうです。他にももう少しありましたが、あまりコピーしすぎると怒られそうなので一部抜粋して記載しています。

 さて、こう並べて見るとある程度思想が見えてきます。ここから16personalitiesがNとSを以下のように考えているとまとめられるかもしれません。

 N:答えの存在しない事象に対して考えるのが好きな人

 S :明確な答えが存在しない事象に時間を費やしたくない人

 こんな感じですかね?

 まあNとSの傾向として全くもって誤っているわけではないとは思いますし、tiktokなどで流行ってる簡易的なMBTI分析のステレオタイプにしっかり当てはまっているものだと思います。

 ただ、NとSってもっと無意識的な部分から分化しているようなものじゃないかと思うんです。16personalitiesでいうNとSの区分では、あくまで意識的な部分にのみフォーカスが当てられています。

 これだと、心理的な分析ではなくただの好き嫌い診断になってしまうと思います。当たり前の話ですが、抽象的な話を時間の無駄だと考えるN型もいるだろうし、スピリチュアルにハマるS型もいるでしょう。

 本当にMBTIを実務に活用する上で考えたいのは、こういう本人の意識的な傾向ではなく本人の意識外の思考活動です。他人の信頼を勝ち取るには無意識的な部分に働きかけるコミュニケーションが最も大事だと思うのです。

偉そうに言ってるけどお前はどうしてんだよ

 認識と言語の関係性にヒントがあるのではないかと思っています。

 とにかく、N型は言語化に対しては見切り発車という印象があります。本音のところでは自分のイメージが相手に伝わるかはあまり考慮していません。また、僕もそうですがそういうコミュニケーションを心地よいと感じる傾向があるように思います。INFPやINFJ、INTJは言語化に慎重ですが、これは言語化が苦手という訳ではなくて、あまりイメージ先行で相手を置き去りにしないように気を付けているだけです。一方ENTP、INTP、ENFPはそれをそのまま饒舌に話して相手を置き去りにする傾向があります。

 N型の中でもこのように表出のされ方こそ異なりますが、要するにN型は言語に先行する形で頭の中でどんどんイメージが形成されていくのです。N型と仲良くなるためにはその「言語化されていない部分」について一緒に考えてあげることが大切なのです。

 一方で、S型についてはすでに「明瞭に」言語化されたものを重視する傾向があります。S型の説明としてよく「過去もしくは現在にまさに存在する概念や現象を重視する」とよく言われますが、これを僕は「完全文で説明できることから優先的に認識している」と解釈しています。つまり「XXがYYをZZにVVした」、あるいは「XXがCCである」という形で、きれいなセンテンスで表すことが出来る情報を好むと考えています。すなわち、S型は言語化しやすい情報から優先的にキャッチしていくという事です。

 ですから、言語化に苦労する情報をS型の人たちはあまり重要視しません。そういう情報を周りのN型がこねくり回したとしても、S型の人たちは困ってしまうでしょう。

 このように、N型とS型は無意識的に別の判断基準により情報を選別していますから、意識的なフィールドにのみ焦点を当てた16personalitiesだけでは明らかに限界があるのです。ここでは、僕が日頃活用している分析を自分の言語化のついでに紹介していきます。

 1.雑な言語化でもどんどん伝えてくる場合はN型、そうじゃなければS型

 特に10代のN型の場合、コミュニケーションは「行方はボールに聞いてくれ」という感じです。これもN型的な伝え方で申し訳ないのですが、N型は自分の言語化が雑でもどんどん相手にぶつける傾向があります。こちらを信用してくれている場合はその傾向がさらに強まるでしょう。聞いていて眩暈がすることもありますが、彼らの中ではそれなりに確信を持っているし、翌々ひも解いてみるとそれなりに戦略的だったりします。

 もちろんS型(特にSP型)も不十分な言語化で相談を持ち掛けてくることもありますが、彼らの場合は大抵の場合本当に戦略が立っていません。こちらから問いかけても「よくわからない」で本当に終わらせてしまう場合はS型と思っていいでしょう。

 もちろん「だからN型が賢くてS型は賢くない」という訳ではありません!N型は相談する前からある程度自分の中で決めてきている以上間違った戦略でも頑固になるし、S型は実際に相手のアドバイスを聞く余地を残しているからです。

 2.理解しがたい趣向を持っているのがN型、どこまで行っても普遍的な趣向なのがS型

 これは多少議論が分かれるところかもしれません……ここは僕が10代を主に扱っているということに免じて笑って流してください。ただ、少なくとも僕の実践においてはこの論点はSとNを見分けるうえでかなり強力だと思います。

 N型は10代でも大人でも多少なりとも少しズレています。例えば僕は地方の塾で勤務していますが、N型の生徒はよく受験で上京するついでにトー横を見に行きたいと言っています笑。ちなみに僕は受験のついでに信濃町の見学に行きました。そうでなくても、N型の生徒はしっかりしているように見えたとしてもどこか型破りな情熱を抱えています。コミュニケーションの過程でそういう傾向が見えたらN型と思っていいでしょう。

 もちろんS型の生徒でも意外な趣味や趣向を持っていることも少なくありません。ですが、それはあくまでも「我々がその生徒から見える範囲で意外」なのであって、一般的な高校生や10代からすればまっとうな範囲に収まることがほとんどです。N型の「意外」は、NT型は悪趣味だったり、NF型は本当に他人からは理解できない点に関心を抱いていることがほとんどです。彼らの場合、特に特別な個人的な経験があるわけでもなく、それを本当に何となく好きなケースがほとんどです。想像力が暴走しがちなN型にありがちだと言えるでしょう。

 3.周りの人間の分析が好き

 特にSFJなんかも他人を気にするとは思いますが、N型の場合は特に相手の心理分析まで手を伸ばします。「あの人がこういう行動をとっていたから多分こう考えていた」と一歩先のところまでコミットしていればN型と考えていいです。必ずしもそれが正しいわけではないでしょうが、間違いなくN型は分析したがりです。塾に来るENFPなんかは基本社交的なので交友関係を広げるのは良いですが、これで周りにある事ない事を言って波紋を呼んで勝手に気まずくなったりしています。

 まとめ

 結果大きく分けてこの3点となりました。偉そうに言いましたが相当ざっくりになりましたね笑。ともかく2点以上当てはまっていればN型の可能性が非常に高いと言っていいでしょう。

 繰り返しますが、N型とS型では情報に着ける優先順位が異なります。それはすなわち、大事にしている価値観の違いを意味します。であれば、言葉の掛け方次第で一見気難しい相手でも信頼を築けるかもしれないし、逆に接しやすそうな相手でも価値観にそぐわない言葉をかけてしまえば信頼を失ってしまう事に繋がるのです。

 人間の感情を熟知したスーパーマンならともかく、僕のようなMBTIを活用しようと心に決めざるを得ない感情弱者では、こういったボタンの掛け違えが致命傷になりかねません。現状、タイプが同じであるN型ならともかくS型についてはかなり慎重に取り扱って何とか均衡を保っている状況です。

 これはあくまで主に10代を相手にしている僕の手法ではありますが、MBTI界隈ではよくN型とS型の断絶は非常に大きいと言われます。僕の場合は生徒に対してはもちろんですが、アルバイト講師に対しても慎重にN型とS型を見極めて取り扱っています。N型とS型では重視している情報が違う以上、こちらからの問いかけや働きかけを相手に応じて変えなければ重要な洞察を共有してくれないのです。僕はこれに気付いてから講師とのコミュニケーションがとても楽になりました。いうまでもありませんが、どちらの情報も等しく重要です。こちら側が情報を上手に引き出し、上手に解釈することが腕の見せ所なのです。

 MBTI公式には怒られるかもしれませんが、MBTIを単なる心理テストではなく実践で使ってもらうためには、利用者が「うまくいったぞ!」と感じる経験を増やしていかなければならないでしょう。少なくとも僕はここを徹底することによって手ごたえを感じています。こんなブログ誰も見ていないでしょうが、少しでも多くの人にMBTIを活用した結果実践でうまく行ったと感じてもらえたら幸いだと思います。NとSを見極めてさえしまえば何とかなるぞ!と声を大にして言いたいです。