ENTP界の面汚し「ひろゆき」を今こそ再評価してみよう

 最近米山隆一とのバトルでぼこぼこにされたと話題になっていますね。ここ数年若年層のヒーローのようにもてはやされていましたが、対米山戦以来叩き記事が増えてきました。メディアがとうとう梯子を外し始めたような感があります。

 

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 今回もそうですが、よくひろゆき評として「専門家に冷静に詰められると弱い」と言うものがありますが、僕が見る限りこいつとか橋下徹が参加する論戦で「専門家の知識」なるものが披露されたことはほとんどないと思います。いつも高校レベルの政治経済を履修した人であれば大体理解できる話でごちゃごちゃ言っています。今回の対米山戦だって大して高度な論戦にはなってません。

 ひろゆきのいわゆる「信者」については言うまでもありませんが、「一歩引いて見ているつもりの人」もひろゆきの事を買いかぶっているのです。Ne-Tiの連携が上手で相手の脇が甘いと隙を見つけてズバズバ切り込んでいくのですが、そもそも相手をコテンパンにするだけで健全な議論には発展することはありません。そしてある程度隙なくしっかり考えている人を相手にすると手も足も出ません。

 ※ただ、本来責任ある立場の人間がまともに説明の準備をしてきていない、何となくでやり過ごすというのはこの国ではままある事であり、そういった人間はコテンパンにされなければ何も感じないという点において、現状の「ひろゆき」にも存在価値はあるかもしれません。

 僕は元々こいつが大嫌いだったのですが、嫌いな人間からこそ学べるものもあるかもしれません。こいつの何が世間に評価されていたのでしょうか。私は20年日本のインターネット文化に触れていますが、人格が特別何か変わったわけではありません。ひろゆきはずっとこんな性格です。しかし少なくともSNSや配信インフラが整いだしたころから知名度と評価が急速に高まったのは事実で、何かが世間に刺さったに違いないのです。世間が「ひろゆき」に対して冷静な目を取り戻しつつある今だからこそ、こいつのいい点を探すことにも価値を見いだせるでしょう。

ひろゆき」のMBTIタイプ

 ENTPで間違いないでしょう。よくINTPではないかとも言われますが、INTPであれば劣勢の時に強引に相手の細かい揚げ足を取ったりしないのではないかと思います。こいつは劣勢になると議論の本線を放り投げて、相手が言った細かい言葉の定義だったり、過去の相手の不祥事を延々とほじくり返すことに終始しますが、これはピンチになると過去に事実として存在した物事に執着する劣勢Siの発現ではないかと思います。そもそもINTPであれば本線からあまりにもズレてしまうことに耐えられないでしょう。

 話のこじつけや例え話を出すスピードから見てもNeおよびTiの連携は非常に上手であるので、XNTPは確定で、他のタイプについては考えるまでもないと思います。

 同じENTPとして共感できる点もなくはないですが、今みたいな持ち上げられ方をされるようなものではありませんね。

何が世間に刺さったのか?

 ひろゆきは派手なレスバトルにより知名度を高めてきましたが、より草の根的な人気を集めたのはネット配信での人生相談です。彼の相談スタイルには一つ特筆すべきものがあります。

 それは、相手の事を否定しないと言う事です。切り抜きで見る程度なので細かくは分かりませんが、基本的に相談内容がどんなものであれ、たとえあまりにも身の程を知らない悩みだったり、身勝手な考えだとしても、必ず相手のプライドや事情を必ず汲み取った返信をしているというところが特徴的です。

 ここでは「否定」の定義がキモで、このタラコはNe-Tiにより相手が「ズバッと言ってほしい点」と「踏み込んでほしくない点」を見分けるのが抜群に上手いです。その上で、相手が刺してほしい点を思い切り刺すものの、必要があれば相談の核心を徹底的に回避しながら話を進めることが出来ます。

 これによって、質問者は本当に向き合うべき点から目をそらしつつ自分の悩みを解決したことにすることが出来ます。そして視聴者も「さすがひろゆきさん」となるのです。

 どんなに現実から目をそらした甘えた相談でもこういう形で「論理的に」相手のツボを意識しながら片付けてしまいます。答えの中身がどんなにねじ曲がっていて、本質を踏まえていないととしてもひろゆき本人は論理的に相談に応えているという体を崩しませんから、視聴者はその答えに安心して飛びつきます。

 「身の程知らずで理に適わない愚痴を言いたいけど、自分の至らない点を指摘されたり努力を促されるのは嫌だ。だけど相手が自分の事をただひたすら慰めてくれているのでは自分が満たされない」という人が世の中にはたくさんいます。MBTIよろしく論理⇔感情の二元論ではどうにもならない鬱屈した想いを抱えている人が世の中にはたくさんいるのです。

 人間は誰しもそういった身勝手な感情を抱えることがありますが、普通は内面で苦悩しながら徐々に自分のペースで外面と向き合い、そういった感情をうまく受け流しながら成長していきます。

 しかし、SNSが発達した現代社会においては、インターネットに触れると自分より輝いている人、自分より華麗に困難を乗り越えてきた人の姿が嫌でも目に入ってしまいます。そういった人々の姿をリアルタイムで目にしてしまうと、内面で苦悩したり、そういう時間をかけてそういう感情に向き合うよりも「なぜ他の人はうまく行って自分はダメなんだ」という怒りが先に来てしまうのです。

 ある程度運が必要な世界もあるでしょうが、大半の場合スタート地点が同じであれば自分と他人を分けるものは努力量の差と等価です。たたき上げで成り上がった人はよく「自分は運が良かった」とよく言いますが、大抵その運を引き寄せる努力を重ねているのです。「自分の努力がまだまだ足りない」というものはなかなか受け入れがたい事ですが、本来はそういう現実を徐々にでも受け入れることにより成長していきます。それでも、出来る事なら受け入れたくないものです。ただ、成功者のSNSを少し注意深く見てみたら相手と自分の努力の差は歴然。何とかして自分の努力不足を客観的に正当化できないものか。ひろゆきのブレイクは、そういった事情と密接に関係していると考えます。

 つまり、論理的に相手の感情的なニーズを満たすという市場が現代社会では大きく存在しているのです。

 「わがままなのは分かってるけど、同情はされたくない。でも努力もしたくない。そういう私が正しいということを誰か証明してほしい。でも自分で周りを説得するのはめんどくさい」

 現代社会ではこういった人を相手にするとお金持ちになれます。これは一見矛盾するので非常に難しいですが、なんなくこなせる人間もいます。ひろゆきは、そういった希少な能力を持っているのです。世の中の不満を掬って自分の力にする能力においては、比肩するものなしです。

 ただここで注意したいのは、前述と矛盾するようですが貧富の格差が拡大し続ける現代社会において「努力量≠富」なケースもままあるという事です。1のコネが100の努力に勝るという事例は僕もたくさん見て来ていますが、そういう社会の矛盾について切り込むためにはひろゆきみたいな人間も必要でしょう。しかしここで言いたいのは、それ以前のレベルにいる悩みの話です。周りの人に言っても「もう少し頑張れば」「勝手に言ってろよ」で流されてしまう事でも、ひろゆきだけは聞いてくれるし、自分を正当化してくれるのです。

 「ひろゆき」には、現代社会の大前提を毀損するようなコネだけの能無しをぶった切りながら、健全な議論を発展させていく役割を僕は期待していたのですが、メディアから持ち上げられて悦に入ったのでしょう。これまでもSNS上で無謀な喧嘩を吹っ掛けてコテンパンにやられるということを繰り返していたのですが、学ばないまま今日を迎えてしまいました。

 序盤でめちゃくちゃ悪口を言いましたが、本来は日本社会を動かして健全に向かわせうる能力を持った人間だったはずです。そういった能力が社会のために活かされなかったということを惜しみつつ、故人の遺徳をしのびましょう。

まとめ

 「ひろゆき」はある意味で稀有な能力を持った人間であり、もっと健全な生き方もあったはずなのですが、使いつぶされつつあります。そういう意味ではもしかしたらメディアの被害者なのかもしれません。

 こういった人間を今後生み出さないためには、消費者である我々が厳しい目を持つ必要があります。これはひろゆきのような論客に対する視線ではなく、これを演出するメディア側に対するものです。「気分がスカッとするかどうか」「面白いかどうか」で判断するのではなく、より真理について議論するためにどのような心持でなければいけないのかを常に注意深く審査していく必要があります。