Fラン入ったら人生終了ですか?NTタイプ編

まずはこれを読んでください

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 前回のエントリーで散々ISFPの事を言いましたが、Fラン大学に入学したら将来にわたって一番尾を引きそうなのはNT型です。

 

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 NT型は自らの知性に自信を持っていて、有能でありたいという気持ちが強いので、Fラン大学に入ってしまうと真っ先に周りを見下してしまうかもしれません。ISFPは自分の殻に籠って外の世界から身を守る傾向にありますが、NT型のFラン生は積極的に他人を馬鹿にしたり、啓蒙したりして身を守ろうとします。

 

INTJ/ENTJは学業や資格取得など、自分一人で何かに打ち込もうとするでしょう。ただ、不真面目なNTJ型でもいずれ受験勉強を「やらねばならないこと」「やらねば自分の有能さを証明できないこと」と認識するので、その時には全力で受験勉強に取り組みますから、結果としてFラン大学に入学することはほとんどないでしょう。「猛勉強の結果地方の国立大学に入学した」というケースは大体彼らです。

以前のエントリーで、「地方の学歴感は①東大京大医学部、②地方旧帝or早慶、③地方国公立、④地方私立である」と述べましたが、一度落ちこぼれて④確定に見えたとしてもその大雑把すぎるギャップを努力で超えて③に入学しまうのがNTJ型です。こういう例があるから地方の大人はどうしようもない生徒に対して「頑張って国立行こうな」となってしまうのです。罪作りな存在です。

あるいは、都会の私立に出て何かしらの結果を残すというケースもあります。ですがいずれにせよ、周りに流されて④に甘んじるケースはそう多くないです。仮にそうなったとしても、努力と情報処理能力で恵まれた環境へ復帰していきます。万が一Fラン大学に入学してしまったとしても彼らに賭けるべき言葉は特にありません。「自らの有能さを示してみろ」と言えば、勝手に上手いことやるでしょう。 万が一学業に最後まで興味を持てなかったとしても、高卒から早期に独立してポジションを掴むでしょう。高卒でも成功して個人事業主として稼いでいる、あるいは大きな組織を創り上げたという人は大体TJ型です。

 問題はINTP/ENTPです。彼らはNTJ型と違って一度レールから外れてしまうとなかなか復帰できません。彼らの洞察力が学歴コンプレックスと結びついてしまうと手に負えません。知的好奇心が悪い方向に運んで自分に都合の良い情報ばかりを集めてしまうことに繋がるからです。かといって、興味を持てない限り弁護士や公認会計士などの難関資格の取得も望めません。努力する習慣もなければ興味のないことを努力する素質もないからです。ただひたすら偏った知識だけ集めて自己を正当化していきます。

 彼らの合理的な思考力が社会で活かされないのは大変な損失でしょうが、そんな彼らを身を挺して救ってくれる人などそうそう現れません。屁理屈ばかり唱える彼らを見てうんざりしてしまう人がほとんどでしょう。どうにかして彼らを救えないのでしょうか?また、NT型のFラン大生はどういう心持で大学生活を過ごすべきなのでしょうか? 

 

 1.周りに対してコミットする意志を持つ

 NTP型は周りに対しての観察力は高いのですが、メイン判断機能であるTiが内向きであるので、自己完結しがちです。

 「俺はこう思うけどな~」「まあ勝手にやってくれたらいいけど」と考えていませんか?合理的な思考力に自信があるのであれば、それを外の世界で活かしてみましょう。NTP型はTiのために自分の中でつじつまが合わせることに執着しますが、その対照となるFeも持っているので、いざ自分の思考が現実となるのは怖いという傾向があります。マイペースに見えて他人の考えが気になってしょうがないのです。自分の能力が結果として現れると言い訳が利かないため嫌なのです。

 あなた方が他人から求められるのは問題解決能力の一点のみです。それ以外、例えばカリスマ性やキャプテンシーなどは欠片も求められていません。Fラン大学に進学しプライドと自尊心が傷つけられているのはわかりますし、そういう時だから能力以上に「自分そのもの」を求めてほしくなる気持ちも理解できますが、そんなことを言っていたらきりがありません。

 本当に現状を分析して、考えて考えて考えつくすのであれば、あなた方の思考力は必ず何か大きなものを動かすはずです。勇気を出して挑戦してみましょう。「めんどくせえし」と言っているようでは、あなたはいつまで経っても無能なクソバカの落ちこぼれでしょう。別に自分から積極的に行動しろと言っているのではありません。意見を求められたときのために準備を怠らず考えておけばそれで充分でしょう。

 

 2.そういう時だからこそ発想力や論理性に制限をかけず完璧な仕事をする

 INTP/ENTPの発想力と論理性はFランではもはや未来技術でしょう。NTPの論理はそのままだと他者には意味不明なことも多いので、中途半端な努力では「難しいことを言っている」と相手にされない可能性もあります。理解してもらうためには徹底的にわかりやすくかつ論理的に言語化する必要があります。大変な仕事ですが、それは本来NTPの得意とするところです。徹底的に視聴者目線で分かりやすいプレゼンを心がけてみると、思ったよりもすんなり受け入れてくれることが多いでしょう。

 その論理性には一切の妥協もあってはなりません。NT型とは言えFランに入るような学生は知識も不足していることが多いですが、論理を完璧にする上で必要な知識を吸収していくのです。完璧な仕事を心がけましょう。

 多くはないですが、Fランにも意識を高く持って自分に貼り付けられたスティグマと戦う殊勝な学生は一定数存在します。直接そういった生徒と仲良くなるのは苦手かもしれませんが、あなたのプレゼン能力を見て相手からあなたに接近してくることは充分に考えられます。少なくとも教授を味方にすればそういった意識の高い学生は接近してきます。そこから就職活動の活路を見出しましょう。

 「学生時代に力を入れた事」は学業一本で考えた方が身のためです。あまり乗り気ではないでしょうが、自分が強いフィールドで戦うことを徹底しましょう。少なくとも教授に認められたのであれば、就職活動では充分に力になります。NTPは就活を馬鹿にする傾向はありますが、周りを馬鹿に出来るほどに自分の有能さを証明するためにまず学問を頑張りましょう。

 他のルートから進路で逆転することは不可能に近いです。かろうじて学生企業で名を上げる可能性は残されていますが、いずれにせよ深い友達はいないでしょうから、劣勢を挽回するには他人をあっと言わせる何かがあなた自身の中に必要です。サークルやボランティアなどに心の底から打ち込めるのであればそれを頑張るのもよいでしょうが、Fランに入るNT型がそういう事に興味を持つことはあまり多くないと思います。よほど自分の中でピンとこない限り、下手なことを頑張っても動画を漁る生活に逆戻りするでしょうから、とりあえず自分の思考力を活かせる学問に全力を尽くしてみましょう。

 冷笑的な態度に終始するのではなく、周りを説得させるために全力を尽くしてください!

 

 まとめ

 結局NTJはほとんど触れませんでした。ですが、彼らは「自分の有能さを示すためにやるべき事は何か」と考えるだけで充分です。それが就職活動だったり、院進学だったり、企業だったりするかもしれませんが、いずれにせよ目標が定まればそのために必要な努力に取り組むことになるでしょう。しいて言えば、周りを馬鹿にしすぎて孤立無援にならないよう気を付けましょう。

 NTPについてはもう一つ踏み込んだアプローチが必要だと思います。「自分の論理性や頭の良さを示すためにやるべきことは何か」と考えてみてください。どうせ大抵の事には努力するほどの興味は持てないはずですが、頭の良さであれば別だと思います。Fランに入って自暴自棄になっているNTPも多いでしょうが、一生懸命学業に取り組んでいれば次第にまわりがあなたの事を尊重するようになります。

 気が進まなくても、あなたの土俵で戦えば大抵の場合周りを圧倒できるはずです(本当にあなたがNTP型であれば)。ただそのゴールは、自分で悦に浸るのではなく、周りにあっと言わせることです。そこだけは取り違えないようにしましょう。周りを勝手に見下して悦に入るようなNTP型は一生誰にも認められないクソ無能です。

Fラン入ったら人生終了ですか?SPタイプ編

 まず最初にこれを読んでほしいです

 

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 SPタイプの解説はFランシリーズの本丸と言えるかもしれません。ぶっちゃけて書きますが特にISFPが問題です。

 SPタイプは優勢機能にSe(外向的感覚)を持つタイプで、その時その瞬間の情報を優先する傾向があります。

 一般的なイメージにおけるFラン大生の特徴として、遊び好き、チャラいというものがあると思いますが、これはタイプで言えばESFPで、2chの謎コピペでもESFPは「Fラン大学の主要層」だと言われています。これはFラン大生の特質に一部当てはまりますが、より本質を突くならば無気力、無感動、無関心といった要素になるでしょう。

 遊び好きであれば心底楽しいと思えることに打ち込むはずです。チャラいのであれば、女性の関心を引くためにいろいろな手を打つはずです。そこには少なからず主体性が潜んでいます。逆に言えば主体性がなければできないことなのです。確かにFラン大生の中にはひたすら遊んでチャラチャラと過ごしている生徒もいるでしょう。しかし、そういった人間は遊びを通じて主体性を学ぶのでそれなりに社会から求められています。私が新卒で就職した有名企業にはESFPタイプであれば結構な数が紛れ込んでいました。それもFラン寄りの大学出身の人間が多かった記憶があります。組織では怜悧な頭脳のみが求められるわけではありません。多少適当な面があったとしても、主体性をもって人を楽しませることに全力を尽くす傾向が強いESFPタイプは、Fラン大学に進学しようがなんだかんだ社会で活躍出来ている印象があります。

 ISTP/ESTPについては社会で幅広く活躍している印象があります。STP型のTiとSeの組み合わせは何をするにしてもつぶしが利きます。

 Fラン大学に4年間を費やすなどこの上なく非効率だということは誰しもが知っていますが、彼らは効率性を追い求めて試行錯誤を繰り返す傾向があるので、学力が足りないのであればFランに通ってお茶を濁すよりは潔く高卒で社会に貢献している印象があります。大学に進学すると決めたら決めたでブランド志向なので、よりハイレベルな大学へ進学することが多いです。万が一Fラン大学へ進学したとしても、STPタイプは自分の成功のために必要だと思ったことがあればあれこれ考える前に取り組むことが多いので、なんだかんだで上手に就活を終わらせているイメージがあります。Tiにより自己流にこだわりがちではありますが、試行錯誤を繰り返すので結局それなりのところに収まります。

 問題はISFPです。

 いや、タイプ別に差別するようなことはあってはならないとは思うのですが、塾講師としてもISFPは16タイプ中最も指導が難しいと感じています。ISFPはありたい自分になりたいと強く願うのですが、どうしても「今まさにこの瞬間感じられる五感」に流されてしまうので、何かを始めよう、自分を変えようと思っても次の瞬間にはyoutubeで好きな配信者を追っているような生活に陥りがちです。

 もちろん大谷翔平をはじめとしてハイスペックなISFPも存在します。存在するのですが、そういう人間は人生のどこかでISFP特有の強烈なこだわりを必ず発揮するので、いざという時には120%の実力を出すことになります。これは、「ISFPならFラン大生でもいつか本気を出す!」という訳ではありません。そういうISFPであればそもそもFラン大学に入学しないのではないかと思います。そういった「強烈にこだわりたい何か」に出会えていないISFPは、何事にも無気力無感動無関心であることが多いです。成り行きでFラン大学に入ったとしても何も感じませんし、周りに安易に迎合しますし、気付いたら就活のシーズンも終わっている可能性があります。

 いや、繰り返しますがISFPだからダメという訳ではありません。努力やストレス負荷にある程度耐性のあるISFPであれば逆に頑固さとこだわりの強さがいい方向に働くのですが、Fラン大学に通うISFPの場合そういったものはあまり期待できないのです。

 ESFPであれば、第二機能にFiを持っていますがそれよりも「この時、この瞬間の空気」を自分の感情以上に大事にする、またTe第三機能なのでなんだかんだで大学生活にもメリハリが生まれ、面接においても相手の機敏を即座に読み取るなどして就活においても優位に働くのですが、ISFPの場合は「この時、この瞬間の「自分の」感情」を何よりも優先させる傾向があります。そこで負けず嫌いの感情などが働いてくれれば百人力なのですが、大抵の場合、特にFラン大生の場合は負け癖が染みついていることが多いので、「まあ今回はかくかくしかしかで時期が悪いからこれ以上はいいや」という後回し思考に陥りがちなのです。Seは「今この瞬間」に重きを置く心理機能ですから、撃たれ弱いISFPが一度そういうメンタリティに陥ってしまうと、以前より状況が悪くなったらテコでも動きません。「今はあの時より状況が悪いから今は我慢する」「これから頑張ればいいから今は勝負の土俵に上らない」とありとあらゆる理屈をつけて「今の自分」を正当化し、簡単に袋小路にはまっていきます。

 Fラン大学に進学するようなISFPは普段接する分にはいいやつであることが多いのですが、「こういう自分でありたいなあ」という方向性をもちつつも現実ではどうしても回避的になり、どうしても力を振り絞らねばならない時に簡単に傷ついてすべてを諦める方向で考えがちです。自分の理想を持っているにもかかわらず傷つきながらも自己実現する方向には進まず、逆に悪い方向に頑固になって破滅に歩む傾向があるように感じます。

 もちろんこれは傾向としての話ですから、もちろんISTP/ESTP/ESFPでもクソFランクズ大学生は存在します。ですが、あくまで一般論で話すのであれば、彼らはなんだかんだ上手くまとめる傾向が強いのです。ISFPはピンチに陥ると現在の安寧を重視するあまり将来のリスクを負ってでも殻に籠って誰かの助けも全て払いのけたり、誰かのアドバイスも全て聞き流してしまう傾向があります。そんな彼らはFラン大生としてどう立ち振る舞えばよいのでしょうか。

 

 1.なんでもいいから一つ頑張る事柄を見つける

 いうまでもありません。これまでさんざん言っている事ではありますが、社会的にはFラン大学に進学した時点であらゆる進路選択に対して不利です。誰が何と言おうがこれは厳然たる事実です。

 「今のままじゃだめだ」という意識を強く持って、バイト、サークルその他の課外活動、学業、何でもいいですから、とりあえずこれを頑張るという何かを決めて、決めた以上絶対それを裏切らないように全力を尽くすと心に誓いましょう。SJ型は「とりあえず何かを頑張る」と決めてしまうと盲目的で無意味な努力をすることになりがちですが、SP型はそうでもしないと何事もすぐに諦めてしまいます。最初は血反吐を吐きながら頑張っていたとしても、いずれその物事に愛着もわいてくるでしょう。またP型なので何か確固たる経験を積んでしまえばJ型よりも上手にそれを応用できるでしょう。これまで散々ISFPを取り上げてきた理由はここにあります。SP型4タイプの中で、最も「めんどくさいからもういっかー」で流してしまう傾向にあるのがISFPなのです。あなたは単純なので、嫌でも意地でやり遂げるよう心掛けてみましょう。いずれその領域では誰にも負けたくないと思うようになるはずです。

 

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 2.他人のアドバイスを真剣に聞く

 自分から他人にアドバイスを求めながら、相手が厳しいことを言うと「でも俺はこうだし」と意気地になった経験はありませんか?「難しいこと言ってるけどよく分かんねえな」と聞き流した経験はありませんか?これはNFP型にも共通して言えることですが、誰かの助言を真剣に聞く意識を持ちましょう。分からないことがあれば質問する勇気と粘り強さを持ちましょう。

 もちろん何でもかんでも他人の言うとおりにしろという訳ではありません。ですが、相手の意見に反論できない時「確かに一理ある」とその正しさを認める度量がありますか?面倒だから受け流すということを続けているうちに、誰もあなたの事を助けなくなるかもしれません。

 上手に反論できないと思ったら、それはあなたが実践するべき他者からのアドバイスです。そういう時が訪れたら、実践すべきものか必ず本気で検討してみましょう。

 ISFP/ESFPは確信犯的にそれを忘れてしまう傾向がありますが、ISTP/ESTPは他人のアドバイスが自分に合わないと少しでも思ったら、無意識にそれを記憶の彼方に葬り去ってしまう傾向があるように思います。ここではFe劣勢が邪魔をして相手のアドバイスを邪険に扱ってしまうかもれませんので、そうならないように注意深く言葉を選んで相手に接していく必要があります。Fラン大生が成功するためには基礎的な学力はもちろんですが、相手に取り入るかわいげも重要です。それを決して忘れないように心がけてください。

 SFPは意識したとしてもそれになかなか気付けないような傾向にあるように思えます。ESFPはそれでも持ち前の愛嬌ですべてなんとかしてしまうのですが、ISFPはそれに気づいたとしてもなかなか自己の思想を外形的にも丸く表現することはできません。自らが成長するためには他人の考えに自分から歩み寄り、自分から相手の意見を分析しに行く態度が重要です、「俺の考えなどわかってくれなくて結構!」となる前に、どんな相手であれ学ぶものがないか考え、相手から情報を引き出すことが重要です。

 

 3.他責思考に陥らない

 これが一番まずいです。ISTP/ESTPは何事も他人事であるのでこういったことにはなりづらく、ESFPは本当に「寝たら忘れる」のでカラッとしたコミュニケーションが取れるのですが、未発達のISFPの場合は「今まさに存在する自分の感情」を重視するがあまり過去から現在に至る自分を正当化することに固執する傾向にあります。そのなれの果てとして、自分が抱えている問題の原因を他者に押し付けることがあります。

 何か自分の失敗を「~だったから難しかった」「~だったから大変だった」と言い訳する癖がついていないですか?愚痴として思わず他人に口走ってしまった程度なら問題ありません。また、ここでは本質的に誰がどういった責任を負うべきかという話をしているわけではありません。「コロナだった時代に入学したら」「共通テストが難しすぎるから」「誰も教えてくれなかったから」「なんか大変な状況だったから」……こうやって自分の失敗を正当化した経験はありませんか?

 SP型の長所は、いざという時に問題点に素早く対処して、アドリブで物事を済ませる点です。何でもかんでも他人のせいにしているようでは、一生いい点が発揮されることはないのです。SP型の長所を考えると、客観的観点から内省し自分に足りない点を見つけたのであれば、すぐさま実行に移すほかないのです。ISTE/ESTPは実行力には問題ないものの行動の根拠たる客観性を見失いがち、ESFPは行動力は高いもののそもそも必要性を忘れがち、特に未発達なISFPはそもそも何事も他人のせいにして原因から目を背けがちな傾向にあるので気を付けましょう。

 まとめ

 なんだか悪口ばかり書いた気がしますが、現に私が進学の支援をしていても無気力無関心無感動というFランメンタリティを備えているのはあまり勉強を頑張ったことのないSFP型が多いように感じます。彼らがおしなべてFラン相応の学力しか身に着けられないという訳ではもちろんありませんが、「そもそも性格的に受験勉強に向いてないなあ」と感じてしまう傾向が非常に強いです。私としてはそういう感想を表に出すわけにはいきませんが、こちらからの働きかけと生徒の努力量が釣り合わないなと感じることがあります。STPはなかなか後が続かない印象がありますが、一度納得いけば少なくとも2週間は目標に向けて爆走します。

 受験勉強にはどうしても向き不向きはありますが、彼らの人生はそこからも続きます。これは全SPタイプに言えることですが、あなたの真価はアドリブが求められる状況において発揮されます。ですが、Fランで空虚な人生を送ったままではそういう美点について他人から受け入れられることはありません。就職活動ではゼロから自分を創り上げることもできなくはないですが、それはそれで途方もない努力と精神力が必要です。

 「なんとなくいい奴として過ごしていた」「何となく面白い奴として輪の中心にいた」ではなく、あなたが一生懸命打ち込める経験(なんでもいいです)を探求することが、Fラン大学生から立派な社会人へ進化する第一歩となるでしょう。SP型は何か一生懸命頑張ったことを伝える能力は高いです。

 その上で、他人のアドバイスを柔軟に受け入れていくことで、優秀な人材として社会で重宝されていくようになると思います。

Fラン入ったら人生終了ですか?SJタイプ編

 前回の続きです

 

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 SJタイプと言えば、目の前のタスクを規律正しくこなすイメージがあります。

 基本的には常識人で、聞き分けが良く、学校では教師に好かれて比較的成績もいい印象があります。

 ですが、(お前の主観だろと言われたらそれまでですが)個人的な感覚では結構な数がFラン大学に進学しているような気がしていてタイプのイメージとやや反しています。今日はそんなSJ型がFラン大生として成功する道を考えてみます。

まずなぜ彼らがFラン大学に進学してしまうのか考えてみましょう。以下の理由が考えられます。

 まじめなSJ型がなぜFラン大へ入学するのか

 ☆「与えられた選択肢」以外に目が向かない

 大都市圏以外で生まれ育った人間にとっては、いまだに大学とは東大京大国立医学部・地元旧帝・地元国公立・地元私立を含めた有象無象の4パターンという認識であることが多いです。他県の国公立やマーチ・関関同立は認識すらしていません(下手したら一橋東工や早慶も)。

 地方の生徒は高校に進学したら高校のレベルに応じてきわめてこの大雑把なグルーピングに当てはめられます。地域社会を含めて教育を行う側がこの程度の選択肢を用意できないわけですから、生徒は主体的に自分の進路について探究しない限りは基本的にこの枠内でしか進路設計をすることが出来ません。SJ型の苦手とするところです。

 この4パターン間において学力の差はきわめて大きい事は言うまでもないと思います。ですが、あまり進路に関する情報収集を積極的に行わない生徒は、自分の進路は外部から与えられたこの4パターンしかないと真剣に考えています。ですから、地元国公立に落ちたらあまり疑いなく簡単にFラン大学へ入学してしまいます。

 もちろん経済的な事情によりやむを得ず上記のような選択を行う生徒も多いでしょうが、しっかり調べて説得すれば簡単に浪人や県外大学への進学を許可する親は想像以上に多いです。親は大抵の場合、子供が真剣に何かに打ち込むことを期待しています。しかしながら、充分に知識のないSJ型はそういう運命にあらがうことなく素直にFラン大学へ進学する傾向が強いように感じます。

 ☆高校教師の言うことを信じる

 一般的に進学校でない場合、教師は学校側の都合から謎Fランを生徒に勧めたがります。進学率を上げさえすれば「うちはその気になれば進学もできますよ」と世間にアピールできるので、その中身がガチFだろうが何だろうがそれだけでもイメージの向上に繋がります。

 また、謎私立大の指定校推薦枠を多く抱えていることも多く、学校側はなるべくその枠を消化させたがります。毎年私の塾に通っている生徒の一部は「どうせ無理だから推薦使ってFラン行っとけ、いやFランじゃないよいい大学だよ」と教師から説得されています。どうやらどうせ無理だからと本当に言われているようです。中には充分にマーチ以上の合格チャンスを秘めている生徒も存在します。

 高校の進路指導も基本的には前述の4パターンしか存在しない世界に住んでいますから、自信満々に指定校を使った県外私立Fランへの進学を勧めてきます。百歩譲って経済的な事情から地元Fランに進学するならともかく、就活などを考慮すると県外の謎地方Fランへ進むくらいなら3か月死ぬ気で勉強して大東亜帝国に行った方が百倍マシですが、高校教師はそういうことを教えません。それどころか「そんなとこ行くくらいなら知名度ゼロの地方Fランに行け」と言い出します。全くもって理解に苦しみますが、現にそういう現場は存在します。

 SJ型は悪く言えば権威主義者なので、年長者のそういう態度を信頼して変なFランへ進んでしまいがちなのだと思います。

 怠けてFランに進んだわけではない!

 彼らは上記のように、周りから与えられてきた価値観に沿って「努力が及ばなかった結果」Fランへ進学することが多いように思います。

 ここで大切なことは、彼らは受験それ自体には失敗したとしても学力を身につけるべくその場の努力は怠ってこなかったという事です。

 導入編でもお話しした通り、就活等大学以降の進路選択で求められるのは基本的には外形上年齢と「大卒資格」のみであることが大半です。すなわち、大卒資格さえ持っていれば大抵の進路であれば東大卒の学生と同様のチャレンジすることが可能です。学歴フィルターがどうだと世間では言われますが、求められているのは本人の実力そのものです。

 SJ型のFラン大生は、上記のような理由でFラン大学へ進学することが多いので、大学入学後もあらゆる場面で努力を怠らないでしょう。自身がFラン大生であろうが何だろうが、こなすべき努力は怠らないのです。あるいはコンプレックスを持つSJ型Fラン大生もいるでしょうが、なおの事ミスを取り返すために努力します。

 Fラン大学に進学した人数のほとんどは大学院へ進学しないでしょうから、卒業見込者の大部分は就職活動に巻き込まれることになると思います。Fラン大生は基本無気力なので周りに流されることも多いですが、SJ型の学生は地道に情報収集を続けます。これまでのネットワークが頼りにならないと気付けば自主的にいろいろな会合に顔を出すことになるでしょう。なぜならば「自分は内定を得なければならないし、そのために必要な知識を得る必要がある」と考えたら、その価値観に従って行動するからです。そういう意味では、やはりSJ型の学生は一般的なFラン大生のイメージとはかけ離れているように感じられます。

 私が新卒で就職した会社は優良企業として有名でした(実際にはクソ企業でした)が、Fラン大学OBもそれなりに存在していました。ただほとんどSJ型で、やるべき事をこなす能力にかけては右に出る者のいない人間ばかりでした。

 今後ほかのMBTIタイプについても考えてみたいとは思っていますが、ぶっちゃけるとFラン大卒で就活に成功しているのはほとんどSJ型です。Fラン大学の実績を創り上げているのはほとんどSJ型の学生なのです。もしかしたら、彼らは「人生逆転した」と思ってすらなくて、「やるべきことをやっていたら就活に成功した」という程度に考えているのかもしれません。

 地方の優良企業にはFラン大からの就職実績がある事が多いですが、その大多数もまたSJ型です。ほとんどの地方優良企業はすでにその地域においてコネクションを開発しつくしており、その維持管理を担える人材に高い需要を抱えています。Fラン卒だろうがある程度学力とコミュ力のあるSJ型には高い需要があるのです。

 ですからSJ型でないFラン大生の方は、「うちは地元優良企業に毎年就職してるし。俺も就活の時に本気出せば日東駒専のザコより将来安泰だし」と思って安心しないようにしましょう。

SJ型Fラン大生が逆転するには?

 Fラン大学に入学してしまうSJ型学生は、大体の場合優先順位のつけ方が壊滅的に下手くそです。現在は地方国立でも共通テストなしの学校推薦が拡大基調にあり、まじめにやってきた生徒であればそれだけで非Fラン大への進学チャンスが増しています。共通テスト自体がN型有利な試験なのでそういう意味ではSJ型に冷たい世の中にはなっていますが、救済措置は十分すぎるほどに用意されているのです。高校の進路指導担任はそういった面まで生徒一人一人まで見てられません。こういった提案もされず、また自分でいろいろ調べるという行動が出来ず、気付いたらFラン大学へ進学してしまったSJ型生徒も相当数いると考えられます。

 とは言え進学してしまったのはしょうがないです。あなたの「やるべき事はしっかりとこなす」という美点はそのまま保ちながら、将来の進路に向けて意識的に様々な意見を意識的に吸収していきましょう。正しく努力するためには正しく情報を集め、分析しなければなりません。受動的に集めた情報を分析しているだけでは大学進学の二の舞でしょう。自分の状況を理解するためにもまず客観的な情報を集めましょう。

 おそらく普通に過ごしているだけで築けるネットワークから得られる情報では確実に不足します。主体的に新しい情報へアクセスするように心がけてください。それはバリバリ高学歴層として就活をこなしている中学高校の友人、学内でも意識の高い会合、社会人として実績を積んでいる親戚やOB何でもいいです。とにかく学内に何となく漂う無気力な雰囲気と社会的な「就活は厳しい」というピリピリとした雰囲気のギャップに気付いて、それを埋めるために情報を集めるよう心掛けることが大切です。

 もちろん怪しい商売やセミナーには断固として拒否する姿勢を崩さないようにしてください。そうでなくとも純粋に意識の高いもの同士を共助するための組織は存在しますから、「よくわからないけど偉い人から与えられた試練を乗り越えれば自分もいつかは成功する」「よくわからないけどこれさえこなせば自分は成長できる」「よくわからないけど帰属意識を感じて心地いい」という甘い話や状況には絶対に乗らないようにしてください。SJ型はNe劣勢のため「もしかしたら~かもしれない」と勘づくことが苦手ですが、就活のためには盲目的な努力をしなければならないという観念を捨てましょう。「とりあえず何かしら頑張る」ではダメです。本当に行為それ自体に価値を感じて自分が打ち込めるものを考えましょう。そこに就活成功のカギは存在します。すこしでも就活それ自体を見据えた行動には何の意味もありません。(特にあなた方の場合)それは害悪にすらなり得ます。だって真面目な高校生活を送ったにもかかわらずそうやってFランに来てるんですから。

 レベルの低い情報ばかりつかまされると、いつのまにか就活スキルを鍛えるためにスマホを友人に売りつけるようなことになりかねません。本当に心から世間に売り込みたいスマホがあるのなら、起業してしまってください。そうでもないのならもっと普遍的に価値を感じられる活動をしましょう。

 その上で、やらねばならないこと、すなわち教授から言われたことだったり提出を求められたものと自分がやりたい行動のバランスを取るように心がけましょう。そのどちらもおざなりになってはいけません。特にISFJ/ESFJの場合は前者を優先させてしまって結局自分のことは後回しになってしまう傾向が強いように思います。それでも地元の謎企業への内定は得られるでしょうが、そこでも謎の義務感から損する人生を歩み続けるでしょうから大学生のうちに上手に経験をアウトプットする意識を持ち続けましょう。

 そうしていけば、きっと満足のいく進路を見つけることが出来るのではないかと思います。正しい方向に努力を続けていけば、必ず未来は開けるのですが、あなた方の場合はその「正しい方向に」が下手くそです。意識的に「なぜ自分はそこそこ頑張ってきたのにFランに来たのだろうか」そして「将来自分はいったい何がしたいのだろうか」という考えを突き詰めていく必要があります。

Fラン入ったら人生終了ですか?導入編

 今回は導入編です。今後MBTIタイプ別にFラン大学に入った後に実践すべき立ち振る舞いを考えていきます。ここで言うFランとは、スラング的な要素の強い用例、例えば大東亜帝国以下という意味ではないです。本当にボーダーフリー、すなわち筆記試験は名ばかりで面接ですべてが決まるような大学、あるいはそれすら必要としない中学2年生レベルの大学を指します。

 

 今や新聞記事やテレビで見ることもあるこの差別用語。この時代に不似合いなほど直球差別用語であることは誰もが理解しているにもかかわらず、あの手この手を使ってメディアに登場しています。

 「あくまでも河合塾の表で用いられた"Border Free"という言葉が省略されスラング化したものであり、"F"そのものにネガティブな意味が込められているわけではない」という言い訳は聞き飽きました。「Fラン」というワードには、そんな長い前置きをしたとしても使いたくなる魅力があるようです。世界から差別がなくならないわけです。

 少子化の進行にもかかわらず、マーチなどの在京有名私立大学への入学難易度は高止まりを続けています。文部科学省による大学定員厳格化とかいうクソ施策とネットの浸透により保護者や受験生が学歴の重要性に触れやすくになったことが原因だと思われます。

大学定員厳格化の緩和で追加合格者が激減 「犠牲者は受験生」の声も|大学入試のゆくえ|朝日新聞EduA (asahi.com)

 一方、地方私立大学や無名私立大学の"Border Free"=全入大学化は着々と進行しており、定員割れを起こした私立大学の割合がとうとう50%を超えたようです。大学定員厳格化とはなんだったんでしょうか。

私立大の53.3%、定員割れ 初の5割超え 定員充足率も過去最低:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 この数字が必ずしも受験における"Border Free"と厳密に同義であるという保証はありませんが、基本的にこのレベルまで落ち込んだ大学が盛り返すことはほとんどないので、「死にかけの大学」という観点においては意義を共有していると考えていいと思います。

 とはいえ、現在でも企業の規模問わず多数の求人が総合職において「大卒以上」を募集要件としています(具体的なデータは見つけられませんでしたが反論のある人はいないと思います)。だとすれば、地方のFラン大学がそこまで避けられる必要もないのではないかとも言えます。世間は大卒資格を持つ人材を必要としているはずですから、特に地方においては重要な人材の供給源となっているはずです。

 にもかかわらず、世間では「Fランに入ったら人生詰み」であるとまことしやかにささやかれます。いつものように「1億総評論家の現代社会における勝手な思い込み」だと言えればいいのですが、Fラン大学に対する具体的な擁護はほとんど聞こえません。

 こういう本や記事ならよく目にします。

Fラン大学でも東大に勝てる 逆転の就活 | 吉井 伯榮 |本 | 通販 | Amazon

周囲から東大合格を有望視されていた学生、Fラン大を選んだ理由にSNSが賞賛「理想的な大学選び」|まいどなニュース (maidonanews.jp)

 ただ、こういった本や記事に共感する人が多いのであれば、例外的なエピソードを持ち上げるだけでなくFラン大学そのものを擁護する声が広がってもいいのですが、そういった輪はほとんど広がりません。現実においてFラン大学は何一つ存在感を示すことはなく、ネット上で受験生のサンドバッグという使命のみをただただ全うし続けています。

 事実として存在している事柄は以下の通りです。

 ・現在新卒総合職求人の多くが大卒以上を募集要件としている

 ・Fラン大生でも就活で成功した事例は枚挙にいとまがない

 ・難関大学を蹴ってでもFランでも自分のやりたいことを実現できている人も存在する(正直これは怪しいと思っていますがここでは言及しません)

 それなら地方や都心の無名私立大にだって十分存在意義があるはずです。Fランに進学したとしても努力して東京や大阪の有名大企業への就活にチャレンジしてもいいはずですし、地方の優良企業に努力して就職してもいいはずですし、努力して自分の関心ごとを思う存分研究したいという人も存在してもいいはずです。Fラン大学の一体何がダメなのでしょうか。

 しらじらしい導入になりましたが、その答えは言うまでもありません。Fラン大学の学生にその努力を求めるのは無駄だからです。

 例えば大東亜帝国レベルであれば現在偏差値50に乗るような学部は珍しくなく、彼らはFランというには程遠い存在です。その内実は国語は現代文のみだったり、伸びにくい英語の配点が小さかったり、頑張ればすぐ伸びる社会の配点が大きかったりするのですが、少なくとも競争が機能していることは確かです。正しく現状を分析し、数か月でも努力を積まなければ合格できないのです。私の塾でも中学1年生レベルの生徒がわずか2か月だけですが血の滲むような努力して得点配分をフルに活用した結果大東亜帝国レベルの合格を手にした例が存在します。

 こういうと感動的に聞こえますが、これまで勉強からひたすら逃げ続けたにもかかわらず人生18年目の終わり頃のわずか数か月間努力しただけなのです。それだけで、世間からあれだけバカにされているFラン大学生という誹りから逃れることが出来るのです。そういった努力すらできず、無責任だった自分の過去と向き合う覚悟すら持たず、大卒資格を手に入れたいという人間がどうしてその後の人生で努力できるというのでしょうか。普通に考えたら理にかなってません。

 もちろん例外は存在します。大学入学後に自分の至らなさを自覚し、自分という人間が何者であるのか探求しようとする学生もいなくはないです。そういう人間は、大学生活を充実させ更に就職活動を通じて自分に対する解像度をさらに高めていき、希望する職に就いていきます。新卒求人の大部分が「大卒資格」以上のものを求めていない以上、理論上はFラン大生にもそういった可能性も残されています。

 ただ、「理論上は」というのは所詮理論上の話にすぎません。現実的にはほとんどの場合気付いたらFランに入学していて、気付いたら3年生になっていて、気付いたら本選考が始まって、気付いたらブラック企業に入社するか内定のないまま卒業します。そういうものなのです。社会的にFランに入学すると基本的にハンデを抱えることに繋がる、にもかかわらずFラン大学に入学する人間などろくな人材ではないことを誰もが経験則的に知っているのです。大卒資格にこだわりを持つ割に受験で必死にならないFラン大学生を社会が積極的に受け入れない理由はそれなりに妥当性を持つのです。

 色々言い訳してるけどどうせ勉強から逃げただけでしょ、どうせやりたい事なんてないんでしょ、どうせ無気力に日々を過ごしてるんでしょ、どうせ今後も嫌なことから逃げ続けるんでしょ……真に向上心を持つFラン大生はこういったスティグマと戦い続けながら自らの進むべき道を定めていかなければなりません。

 ただ、本人に覚悟さえ決まっていれば戦う価値はあると思うのです。大多数のFラン大生は「どうせ俺は」という気持ちに圧倒されて何もしないまま卒業していきます。社会に就活という形で一泡吹かせたいFラン大生も中には存在するはずです。だって、ほとんどの場合新卒採用は「大卒資格」以上のものは求められていないのですから。「理論的には可能」という社会の建前に真に挑戦したいと願っているFラン大生も存在するはずです。

 中には前述の通り大学に入ってから自分の立ち位置に真に危機感を覚えた人もいるはずです。中には共通テストに失敗してやむを得ず地方のFラン大学に入った人もいるはずです。中には本当に究めたい何かがあってFラン大学に入学した人もいるはずです。

 近年の共通テストの無意味な難化傾向に伴い、不本意にFラン大学へ入学してしまった方は増えていると思います。あるいは奨学金のためにFラン大学に入学した方、あるいは(本当に存在するか分かりませんが)自分のやりたいことを極めるためにFラン大学に入学したはいいものの就職活動を行わざる得ない方もいるでしょう。そういう人たちのためMBTIタイプ別に今後大学生としてどのようにふるまっていくべきか、考えていきたいと思います(続く)

 

SJタイプ編更新しました

 

fakesam.hatenablog.com

 

うるせえよ何が管理してほしいだよ自分に合った勉強法なんて自分で探せよ

 MBTIちょっと関係あります。

 入試直前期となり、問題を解く手順について相談を受けることが多くなりました。試験の内容で言えば「解く大問の順番はどうしようか」「予想問題集をどういう日程で解いたらいいのか」「全問答えようとするとすると間に合わないから最後の数問は捨ててよいか」。勉強法で言えば「あとこの科目はどの参考書を見直せばいいか」「単語帳には何分時間をかけるべきか」「残りの期間どう勉強時間の配分をしていくべきか」とかそういった話が多いです。

 まずそういった問題意識をもって私のところまで聞きに来てくれることについてはとても素晴らしいと思います。現実的には問題意識すらまともに持ち合わせていない生徒が多数です。そんな中とても良い心がけではあるのです。

 ただ、生徒がアドリブを入れ込む余地のない計画を考えてようとしている時は注意しておかなければなりません。

 大前提として、「一発ですべてを解決するような完璧なプラン」は存在しません。特に現代の共通テストは昔と違って毎年どこかしらマイナーチェンジされており(しかも難化寄りで)、傾向に100%寄せた対策は逆にリスクとなりかねません。

 もちろん抜本的な変化がある場合はサンプル問題が公表されるはずで、そうでもない年にあまりマイナーチェンジを恐れる必要はありませんが、それでもガチガチに「大問4はこうだからこの問題は捨てて……そうすれば時間ぴったりで終わるはずだから……」という対策ばかりしていると痛い目を見るかもしれません。というか毎年多くの受験生が痛い目を見ています。

 あまり共通テストの形式に依存した対策ばかりしていると、少しひねられると得点率がいつもより3割減とか普通にありますので、計画を細かく決めすぎないことが大切でしょう。もちろんそれでも時間配分を間違えないようにするというのが本当の対策になると思います。もちろん私立や国立二次試験でも同様です。

 こういうケースが深刻なのはSJ型に多いような気がします。STP型などは筋が通っていると思えば常識を捨てていろんな実験をしてくれるのですが、SJ型だとまず常識だと思っていたことにいちいちつまづく傾向にある気がします。だから、こちらからいろいろカウンセリングをして可能性を探っている段階からいちいち「いやそれは……」「そんなこと言われても……」という反応をしてくるのでこちらとしても「うるせえよ何が管理してほしいだよ自分に合った勉強法なんて自分で探せよ」という気にもなります。

 SJ型がこういう傾向で考えてしまうのは何となくイメージ通りだと思います。Si優勢Ne劣勢なので、アドリブで考えることを嫌いがちだからです。実際に、模試の段階では最もひどい目に合うのは勉強に不慣れなSJ型であることが多いです。

 ただもちろんSJ全員がそうではなくて、勉強経験が豊富なSJ型は、「勉強に常識はない」ということを常識として理解できているので逆に柔軟なんです。

 とは言え、何度から躓きながら自分が必要だと認識した事柄については一生懸命ものにしようとしてくれるので、そこまでの辛抱だとも言えます。

 より問題なのは、Ne優勢Si劣勢のタイプ、すなわちNP型もこういう傾向に陥りがちだという点です。こっちの方がたちが悪いです。

 いわゆるSiグリップと言うやつで、いつものようにアドリブ一辺倒でうまく行かない時に、一般的な受験攻略法に執着し始めます。すなわち、英語は一日何時間、数学は一日何時間と勉強時間の配分を厳密に決めようとしたり、過去問をやるときにも大問1は何分で、大問2にはこの問題を飛ばして……など、傾向と対策に執着しようとします。

 Ne的な要素を持つ受験生がこういう状況に陥ってしまうと、十中八九深刻な停滞にさいなまれることになります。だって、本来そういう事が出来ない質なんですから。ADHDのくせに周りの健常者どもの解き方を真似したがります。

 事前にルーティンを作ったところで、どうせそのようにはなりません。ほぼほぼめんどくさくなって、いつも通り、いやいつも以上に質の悪いアドリブで乗り切ろうとするに決まっているのです。

 日頃の勉強ルーティンを決めようがどうせうまく行かないし、受験中の解き方をマニュアル化しようがどうせそうはなりません。Neが反応して計画外の事柄に執着するに決まっているのです。

 ENTPの私自身「どうせこうなる」ということが分かり切っていたので、最初からほとんどマニュアル的なものは決めませんでした。日々の勉強は以下の事ように取り組んでいたように思います。

 ・思い立ったらすぐ取り組む

 ・ただ過去問や模試の結果から必要だと思ったことしかしない

 ・先延ばしはしない。まずは何も考えず机に向かうこと

 ・最初の想定通りに勉強が進まなくてもとりあえず取り組んだ自分をほめる

 ・なるべく無計画に勉強を始めて嫌気がさしたら後3ページ、それが終われば意地でもう3ページというように進めた(長距離走のような感じ)

 ・100%の完成度になるまで次に進まない。強引に進めるのは甘えだと自己暗示をかける

 ・これ以上無理だと思ったら即座に切り上げる。

 計画は可能な限り立てず、とにかく最初の一歩を踏み出すこと、半端な完成度では終われないように自己暗示をかけることを徹底していたように思います。また、ある程度進捗があれば潔く勉強を終わらせることにも注意していたように思います。

 また、試験本番については「なるべくルーティンを決めない」という意識を持っていました。どうせ事前に決めたように脳が働かないからです。過去問の研究は徹底して行いますが、解き方までは決めません。もちろん大まかな時間設定は決めますが、細かい部分は自分のアドリブでなんとかできるように初見問題を積極的に解いていきました。

 ……自分語りがしたいわけではないです。

 何が言いたいのかというと、自分の性質を先回りして対策を考えることが大事だということです。また、自分の勉強経験や過去問を解いた経験を振り返ると何かしら欠点があるはずです。自己分析をしっかり行って、欠点を補う対策を考えなければなりません。

 客観的に欠点を述べることはできるでしょうが、その欠点を補うことが出来るのは自分しかいません。すなわち、誰になんと言われようが自分が納得していなければどうせ何も成し遂げられないのです。そのためにはアドバイスを求める前に自分で自分の事を可能な限り知る必要があります。

 一般的な解決法を追い求めるのも大事ですが、結局それを実践するには何よりも自分に合うかどうかですから、自分に合った、あるいは自分が心底大事だと思えることに取り組むのが何よりも効果的だと思います。

 塾講師は、それを見つける手がかりはできますが、それをゼロから提案することはできません。厳密に言えば提案はできますが、それを実践するかどうかは100%生徒の心持次第なのです。

 自分を知り、自分の欠点を知り、今自分に何が必要なのかを知らなければ効率的な勉強などあり得ません。それをある程度見据えた上であれば管理されることも有効だと思いますが、そういう部分すら誰かに放り投げ、ただ誰かに管理してほしい、縛ってほしい、指摘してほしいというクソ甘え根性の人間は何も成し遂げられませんので注意しましょう。

文系が大学に行く意味とは

 よく言われていますね。文系はもはや(そもそも?)社会を維持するのに必要ないという言説が後を絶ちません。ちなみに今回もMBTIはあまり関係ありません。

 元々こういう声は常日頃くすぶっていたのですが、近年の技術革新に伴いさらに強まってきた感じがあります。日本の経済的な衰退と結び付けられて、「今の時代では理系でなければ価値を生み出せない」という言説をばらまくような人間は今となっては当たり前に目にします。お隣の国韓国では深刻な新卒就職の不調と相まって大学生自ら「文系ですみません(ムンソン)」と自虐したりします。

 もちろん、日本や韓国がまだ発展途上あるいは絶頂期にある段階ではそういう声は限定的でした。経済が拡大基調にある時代においては文系学生にも使い道があるものの、経済の縮小段階に至ると使い道のない人間扱いされてしまうのです。

 これには、世間が文系大学生の事を「多少教養のある奴隷予備軍」と捉えていることが背景にあるのではないかと考えています。本当にそうなのでしょうか。いや、実態としては少なからずその通りなのですが、この少子化の時代にあって文系大学生の事をそのように捉えることが本当に社会のためになるのでしょうか。

 名目的にはアカデミックな観点から文系大学生の意義についてフォローされることが多いですが、現実的に大半の学生は卒業後就職しますし、必ずしも専攻を活かした職に就きません。このような擁護は言わば苦し紛れであるように思います。であれば、実利的に考えると文系大学生はやはり存在する価値はないのでしょうか。

 あ、ここではそれなりにまじめに勉強した文系学生の話をしています。遊んでコミュ力を鍛えるのも大事かもしれませんが、そういう話ではありません。

1.社会での文系大学生の扱われ方

 卒業後、基本的に営業職や事務職に就きます。一般的な事務職は例えば簿記検定などを取得すれば高卒でもできますから、期待されるのはバリバリの営業だったり事務の管理職であるように思います。

 とは言え、こういった人間もやはりたたき上げの高卒で代替可能ではありますから、理系専門職ほど大卒が「独占資格」的な扱いを受けることはありません。

 多少なりとも就活の局面で営業・事務において大卒が優遇されるのは、こういう実利的な面よりは、「大卒が多いと会社の格が上がる気がする」だったり、「とりあえず大卒は出世させとこう」というような、世の中になんとなくある空気に流されているだけな気がします。

 だとすれば、文系大卒に実質的な価値は存在しないものとなり、世の中の空気で、世間体で、何となく文系でも大卒に行った方がいいという雰囲気が文系大卒の価値を担保しているだけということになります。

 文系大学生の存在意義についてはネットだったり紙面だったりで、少なからず誰かが論じていることも多いですが、僕が見る限りこの点に関しては暗に認めてしまっているケースが多いように感じます。つまり、社会においてはほとんど実践に活かせていない→だから文系の大学には実践的な人材を育成する能力がないと認めてしまっているのです。

 繰り返しますが、「(社会への貢献はさておき)学びたいから文系に行く⇒だから価値がある」という言説は負けだと思っています。本来価値のある人材はあらゆる点から見ても価値があると思います。文系の価値を考えるのであれば、社会にとって価値があるからこそ文系学問への門戸が開かれているに違いないという視点から考えるべきです。

 2.社会の言う専門性が抱える矛盾

 しかしながら、社会で数学的な素養を持つ理系人材が優遇されてきているのは自明です。まず彼らがなぜ優遇されるのかを考えてみれば、文系学問の意義も再定義できるかもしれません。

 前述した日本社会における「理系偉い」議論には、理系には「文系とは違って実利や職業に直結する専門性があるから偉い」という考えが背景にあります。すなわち、数学や理科のセンスがなぜ偉いかというと、「お金を生み出すから偉い」という考えです。

 昨今GAFAなどのIT企業やAIなどの技術革新に伴い「数学が必要っぽい事」が莫大なお金を生み出すありさまを見てきた人たちからすれば、そういったものに飛びつきたくなる気持ちは分かります。そして、それを自分ではない他者に求めたくなる気持ちもわからないわけではありません。

 そうなのでしょうか。現に最上位のヘッジファンドコンサルタントといった平均年収が数千万にも上る企業が理系人材を欲しがる理由はそこにあるのでしょうか。世間の外野たちはそういう最優秀層の外資が理系人材を買いあさる姿を見て、「理系が必要!文系は不要!」と叫んでいます。

 もちろんそうではありません。彼らは理系人材の価値を「彼らの専攻が金になるから」という理由でほしがってはいないのです。その実としては、彼らの数学的思考力に魅力を感じています。「数学的思考力」と「数学を用いた専門性」の違いを理解している人はあまり多くありません。理系だから偉いというのではないのです。

 3.数学的思考力とは

 その数学的思考力とは何でしょうか。これは、「問題意識に対して正しく仮説を生み出す能力」であるように思います。フェルミ推定が良く持ち上げられますがそんな感じです。

 こういうとざっくりに聞こえるかもしれませんが、日々塾講師として生徒と接していると、「今の状況から当然予測されるべき未来」を見通せない生徒が多いことに気付かされます。現実からより可能性の高い未来を推測するということに慣れていない人はあまりにも多いです。

 現実に即して合格までに自分に足りない能力が何かということを考える能力があまりに欠けているのです。その結果、長文が読めないからとりあえず英単語に一日3時間かけようというような的外れな対策に走ります(生徒の力不足である点を改善できない私の指導力不足については別途考える必要がありますが……)。

 数学的な思考力が不足すると、問題にぶち当たると「とりあえず」と考えるようになってきます。これでは自分の実力と向き合う事から逃げているのと一緒です。「とりあえず誰かが言っていたから」「とりあえず単語力は大切だから」こういった思考では、いつまで経っても問題解決には至りません。最終的には「とりあえず」ではなく自分の状況を分析した上で本当に効く特効薬を探し出す努力をする必要があります。

 現実社会の問題を解決する上では、対症療法ではなくこういった「本当に効く特効薬」を探し出す熱意が何よりも大事でしょう。ここでは、現実に存在する事象から地道に手がかりを積み上げていく数学的な思考力とそれをおろそかにしない意識が求められます。

 「数字の妥当性は現場が考えるものであって俺は報告を受ける立場だから」「専門的な難しいことはよくわからないから」「俺は偉いから分かりやすく伝えろ」こういった態度が日本社会の硬直化を生んでいると思います。大事なのは、そういった「専門的っぽいこと」でもなんとか自発的にデータを読み解こうとするその姿勢なのです。「数学は暗記が少なくていい」と言われることがありますが、そういう科目が現実社会で重んじられる理由は、そういうところにあります。「ひらめきが素晴らしいから」とか「金になるから」ではなくて、「難しいデータにも臆せず地道に理解しようとする」姿勢を身に着けることが出来るからなのです。

 数式と言うのは、「誰がどう見てもそうだ」という客観的な説得力を担保するツールにすぎません。実は世間でもてはやされる数学的思考力というのは数式を自在に操る能力とはイコールではないのではないかと思っています。

 3.科目の「数学」じゃないと身に着けられないのか?

 もちろんそんなことはないと思います。文系大学でも、ゼミだったり面白いと思える教養科目に出会ったときは、試験やプレゼンで「教授をあっと言わせてやろう」と思える時が来ると思います。ありとあらゆる仮定を思い浮かべて、どんな試験問題だったり論文課題が来ても対応できるように考えることでしょう。とくに学士の場合、文系は理系と比べてぼんやりとした日々の問題意識を掘り下げることが大切です。深い専門知識がなくても、周りから見て「確かにそれは問題だ」と思えるような論題を決めることが出来ればいいのです。その上で、何か一つ誰かをあっと言わせるような結論にたどり着く必要があります。

 そのためには、問題意識を見つけ出す能力だったり、突拍子もなかろうが誰の目にも妥当だと思えるような結論に行きつくための論理力が求められます。意外とそういう面では(学部の範疇では)理系以上に日頃から周囲にアンテナを張っている必要があるように思います。「何となく皆が思っている事を誰にでもわかるように、納得できるように説明する」というのは、まさに前述した数学的な能力を駆使しなければ実現できないことだと思います。

 アカデミックなレベルで言えば学部の勉強など「お遊び」なのでしょうが、それでも社会に出ると、教授以上に日々問題意識を抱えているような人間に出会うことはほぼありません。隠れた事実の重要さを周りに気付かせる能力だったり、当たり前だと思っていることを結び付けて新しい理解に到達するような能力は実は現実社会だと相当に重宝されますが、日々の雑務に追われて大多数の社会人はそれを「邪魔くさい妄想」だと片付けてしまうのです。結局言われたとおりに事をこなしていれば、本来向き合うべき課題から目を背けていてもそれなりに評価されることが多いです。

 社会では数式で扱える範疇の論理的思考力というのは意外と肩身が狭いものです。だってみんな苦手ですから。真に変革をもたらすためには、そういった思考が苦手な人間を説得して、まとめ上げて、何かを実現に移すという途方もない作業が求められます。ただそれは社会で成功するためには数学的な思考を放棄することが最優先だということを意味しません。あくまでも客観的なデータから導き出される創造的な結論に価値があるのです。

 そういう思考が必要なのは理系も文系も一緒でしょう。むしろ学部レベルで言えば文系の方が一見「どうでもいい」と思えるような問題に真摯に向き合ってきた経験があるからこそ、社会で応用の利く思考が出来るかもしれません。

 4.文系人材はどのように活躍したらいいのか

 文系の学問領域においては明確にイノベーションのために必要な問題意識はあまり存在しません(困っている人がいないので)。そういう領域で現状を結び付ける努力こそが社会を前進させるフックになるものだと考えています。

 僕の例でいうと、お世辞にも社会的に活躍できるような専攻ではないのですが、当時ばかばかしいと思えるようなことを深く考えた経験は確実に実践の場で深く根付いています。なぜなら、世の中の課題と思えることの大部分はばかばかしいと思えるような事項にどう対処するかが解決へのキーとなるからです。これまで4度転職して、すべてにおいて異業種でしたが、大学時代に深く考えてきた経験は間違いなく活きています。塾講師だってそうです。塾講師としても平均的以上に活躍出来ているという自負はありますが、それは常日頃社会だったり、それ以上に大きな問題意識に対して「考えて続けているから」という理由に他なりません。改革著しい受験業界ですが、制度上の些細なマイナーチェンジなど朝飯前なのです。

 直ちに根本的な解決となるとは思えないことでも、一生懸命考えていれば次第に解決されていきます。現代社会において、こういった事項を深く考えられる人間がなにより不足していると実感しますし、大学側からもそういった問題解決能力を重視する姿勢は大いに感じています。

 「問題解決能力」と一言にいっても、その範囲は日本の政治制度から私のささやかな職務上の問題に至るまで多岐にわたります。それでも「ちょっと考えたらわかるだろ」と思うのですが、ちょっとも考えたこともない人間にはそもそも無理な話なのです。

 ここまで論を進めてきた以上逃れられない話ではありますが、「文系の学問が直ちに社会に活用できるわけではない」ということは認めざるを得ません。ですが、現代社会はそういった「考えてもしょうがない」問題に満ちています。こういった問題に真面目に向き合って初めてイノベーションだったり社会的な変革の機運が広まっていくのだと思います。

 日本の理系人材が活躍しているという事実は否定のしようがありません。しかし文系大学出身だからと言って世間が文系学生たるもの「資格を取らないと」だったり、「遊んで人脈を広げないと」と考えるだけでは人材を浪費し続ける一方です。

 生活において問題意識を掲げながら、ゼミや卒業論文において考えつくしてみるという経験こそが、文系大学生が生きる道であるのではないかと思います。張りぼてではなく、そうやって磨き上げたコミュニケーション能力を企業は皆さんが思ってるより評価してくれます。

 世間の他人事な考えに惑わされず、大学生になったからには一生懸命課題に挑戦してみることが大事だと思います。

共通テストなんてクソだよクソ

 これまでに何度も言っているのですが、共通テストは極度にNに寄った試験形式となっています。

 A,B,C,Dと来て次はEであることを想像できることを良しとしている試験です。A,B,C,Dの中に答えがあることもあればないこともあります。これは、明らかにN型の人間を優遇した試験と言えます。雑魚科目の理科基礎でさえ、これまで真面目にインプットした努力を脇において生意気にも応用力を見てきます。

 こう見るととても合理的で「使える」人勢を選別することに優れた試験であるように見えるかもしれませんが、実際のところ一般的な社会の構成員として有用なのは大抵の場合S型の人間です。格差社会だの色々言われていますが、現代日本は何だかんだ、しなければいけないことをコツコツこなせる人間はそれなりに報われるようになっています。

 大学受験でもそういう人間はある程度報われるべきでしょう。彼らは旧センター試験であれば存分に力を発揮できていました。また特段S型有利というわけでもなく、要点を抑えるのが得意なN型の人間はセンター試験程度であれば軽々と突破してきています。本当によくできた試験だったと思います。

 それが共通テストに変わってからは、S型の人間はことごとく苦戦を強いられているのです。これはどういう意図に基づくものなのでしょうか。

 おそらくは、実戦での応用力に基づいた試験を課したいという設問側の意図があるように思います。文部科学省の資料(令和5年度大学入学者選抜実施要項について(通知)」では「必要な知識・技能,思考力・判断力・表現力等を適切に評価する」とありますが、共通テストを見る限りこれを「とっさの判断が利く人材」であると解釈して作問しているような印象があります。

 また、個別学力検査については「複数教科を統合して学力を判断する総合的な問題の出題など,工夫に努めることが望ましい」ともあります。

 上記2点は、MBTIで言うとN(特にNe)的要素を重視していると考えられます。まじめに教科書や参照書を読み込んできた人間よりも、発想力を暴発させて様々な領域にまたがって考えられる人間こそ望ましいというのです。確かに、過去の共通テストの問題を見ても、教科的な知識に縛られない問題が複数出題されることはめずらしくありません。

 たしかに、ただのがり勉よりも想像力の豊かな人間の方が社会で通用すると考えるのは自然であるように思えます。

 しかし、上記のようにお国がこのように持ち上げるNe持ちに対して世間は一貫して冷淡なのはいうまでもありません。ADHDなんかみんな嫌いなんですから。

 そして、想像力が暴発しがちな人間(Ne持ち)は、集中力が低いので比較的内申が低い傾向にあります。前述の文部科学省の資料では「一般選抜のほか,各大学の判断により,入学定員の一部について,多様な入試方法を工夫することが望ましい。」とありますが、大抵の場合Ne持ちは推薦との相性が非常に悪いです。つまり、お上はNe持ちを一般入試では持ち上げる一方で、入試制度全体としては排除する方向に向かっているのです。

 政策立案者側の考えを要約すると「優秀な人間の定義にNe的な要素が当てはまるので、ペーパーテストでNeが強い人間が一部引っかかるのはやむを得ないとしても、ADHDはマジ勘弁」ということでしょう

 これだけ見ると、「なんだ、一般入試と推薦入試で入れたい人間を分けたいのだろうな」と納得できないこともないのですが、おそらく政策立案者はそこまで考えていないでしょう。上記の資料にはそういった記載がどこにも見当たらないからです。彼らはあくまでも、「やることはしっかりとやり、ボランティアなどの課外活動にも尽力しつつ、いざ試験となると発想力と武器に正答にたどり着くまで全力を尽くす」という完璧人間をモデルにしているのでしょう。前述の資料が「各大学は,入学者の選抜を行うに当たり,公正かつ妥当な方法によって,入学志願者の能力・意欲・適性等を多面的・総合的に評価・判定する。」としか述べていないのですから。公正かつ妥当って何なんでしょうね。

 「あ、自分はS型だから推薦入試で頑張ろう」という訳にもいきません。制度設計自体がまずもって完璧なスーパーマンを求めるようになっているのですから、もちろん推薦や小論文でN型的要素を求めてきます。ただ、S型が推薦入試に有利で一般入試に不利なのは間違いないですから、S型で高校3年生になって本気を出し始めた生徒はもはや「手遅れ」という扱いになります。どんなに頑張っても、共通テストがN型を念頭に置いたものですから、どうしてもハンデを背負ってしまうのです。

 本当に今の若人の将来を考えているのならば、入試制度全体において受験生に求めるレベルがかつてのセンター試験程度のレベルに戻ってほしいものだと日々考えています。

 センター試験は確かに暗記重視ではあったものの、聞いてくるレベルは確かに覚悟のある人間にとってはN型だろうがS型だろうが当然暗記しているべき量に留められていました。共通テストのような(S型にとっては)嫌がらせだとしか思えない問題はほとんどありませんでした。その人の努力量を測る上では、これほど優れた試験はないように思えます。それでいて、N型的思考で解ける問題、すなわち最小限の暗記+洞察力で解ける問題も多かったところにもとても魅力を感じます。

 社会人として必要な思考力や表現力を求めるという声はありとあらゆるところで叫ばれます。それこそ官僚の世界はもちろん、就職活動の現場、新聞記事などの談論などです。でも、それは大学生が社会人になって、「本当に必要になったときに学んで習得する」ものではないでしょうか?つまり、そういった地に足のついた学習ってS型が得意とするようなものではないでしょうか。少なくともこの少子化の時代、社会に出た事のない高校生を捕まえて「今の時点での発想力」だけで全てを測るべきじゃないと思います。努力できた人間が栄冠をつかめるような世の中である事を教えてあげねばなりません。

 それを、現在の一般的な入試制度は「S型は融通が利かないから切り捨てる。N的要素も優秀なS型なら仲間に入れてもいい」と言っているとしか思えない試験問題を課してきています。N型をありがたがるのは結構なことですが、世の中がN型だけでは決して成り立たないのは自明です。人はそれぞれ素晴らしい点を持っていて、それを各人の能力に応じて社会で活用することにとても深い意義があります。知性を画一化することが、なぜ国家のためになるというのでしょうか。そういう事が言いたくてこのエントリーを書きました。

 MBTIは半分はエンタメ的な要素で流行っているかもしれませんが、少なくともN型とS型の違いを知っておくことがとても大切なことがわかると思います。