Fラン入ったら人生終了ですか?導入編

 今回は導入編です。今後MBTIタイプ別にFラン大学に入った後に実践すべき立ち振る舞いを考えていきます。ここで言うFランとは、スラング的な要素の強い用例、例えば大東亜帝国以下という意味ではないです。本当にボーダーフリー、すなわち筆記試験は名ばかりで面接ですべてが決まるような大学、あるいはそれすら必要としない中学2年生レベルの大学を指します。

 

 今や新聞記事やテレビで見ることもあるこの差別用語。この時代に不似合いなほど直球差別用語であることは誰もが理解しているにもかかわらず、あの手この手を使ってメディアに登場しています。

 「あくまでも河合塾の表で用いられた"Border Free"という言葉が省略されスラング化したものであり、"F"そのものにネガティブな意味が込められているわけではない」という言い訳は聞き飽きました。「Fラン」というワードには、そんな長い前置きをしたとしても使いたくなる魅力があるようです。世界から差別がなくならないわけです。

 少子化の進行にもかかわらず、マーチなどの在京有名私立大学への入学難易度は高止まりを続けています。文部科学省による大学定員厳格化とかいうクソ施策とネットの浸透により保護者や受験生が学歴の重要性に触れやすくになったことが原因だと思われます。

大学定員厳格化の緩和で追加合格者が激減 「犠牲者は受験生」の声も|大学入試のゆくえ|朝日新聞EduA (asahi.com)

 一方、地方私立大学や無名私立大学の"Border Free"=全入大学化は着々と進行しており、定員割れを起こした私立大学の割合がとうとう50%を超えたようです。大学定員厳格化とはなんだったんでしょうか。

私立大の53.3%、定員割れ 初の5割超え 定員充足率も過去最低:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 この数字が必ずしも受験における"Border Free"と厳密に同義であるという保証はありませんが、基本的にこのレベルまで落ち込んだ大学が盛り返すことはほとんどないので、「死にかけの大学」という観点においては意義を共有していると考えていいと思います。

 とはいえ、現在でも企業の規模問わず多数の求人が総合職において「大卒以上」を募集要件としています(具体的なデータは見つけられませんでしたが反論のある人はいないと思います)。だとすれば、地方のFラン大学がそこまで避けられる必要もないのではないかとも言えます。世間は大卒資格を持つ人材を必要としているはずですから、特に地方においては重要な人材の供給源となっているはずです。

 にもかかわらず、世間では「Fランに入ったら人生詰み」であるとまことしやかにささやかれます。いつものように「1億総評論家の現代社会における勝手な思い込み」だと言えればいいのですが、Fラン大学に対する具体的な擁護はほとんど聞こえません。

 こういう本や記事ならよく目にします。

Fラン大学でも東大に勝てる 逆転の就活 | 吉井 伯榮 |本 | 通販 | Amazon

周囲から東大合格を有望視されていた学生、Fラン大を選んだ理由にSNSが賞賛「理想的な大学選び」|まいどなニュース (maidonanews.jp)

 ただ、こういった本や記事に共感する人が多いのであれば、例外的なエピソードを持ち上げるだけでなくFラン大学そのものを擁護する声が広がってもいいのですが、そういった輪はほとんど広がりません。現実においてFラン大学は何一つ存在感を示すことはなく、ネット上で受験生のサンドバッグという使命のみをただただ全うし続けています。

 事実として存在している事柄は以下の通りです。

 ・現在新卒総合職求人の多くが大卒以上を募集要件としている

 ・Fラン大生でも就活で成功した事例は枚挙にいとまがない

 ・難関大学を蹴ってでもFランでも自分のやりたいことを実現できている人も存在する(正直これは怪しいと思っていますがここでは言及しません)

 それなら地方や都心の無名私立大にだって十分存在意義があるはずです。Fランに進学したとしても努力して東京や大阪の有名大企業への就活にチャレンジしてもいいはずですし、地方の優良企業に努力して就職してもいいはずですし、努力して自分の関心ごとを思う存分研究したいという人も存在してもいいはずです。Fラン大学の一体何がダメなのでしょうか。

 しらじらしい導入になりましたが、その答えは言うまでもありません。Fラン大学の学生にその努力を求めるのは無駄だからです。

 例えば大東亜帝国レベルであれば現在偏差値50に乗るような学部は珍しくなく、彼らはFランというには程遠い存在です。その内実は国語は現代文のみだったり、伸びにくい英語の配点が小さかったり、頑張ればすぐ伸びる社会の配点が大きかったりするのですが、少なくとも競争が機能していることは確かです。正しく現状を分析し、数か月でも努力を積まなければ合格できないのです。私の塾でも中学1年生レベルの生徒がわずか2か月だけですが血の滲むような努力して得点配分をフルに活用した結果大東亜帝国レベルの合格を手にした例が存在します。

 こういうと感動的に聞こえますが、これまで勉強からひたすら逃げ続けたにもかかわらず人生18年目の終わり頃のわずか数か月間努力しただけなのです。それだけで、世間からあれだけバカにされているFラン大学生という誹りから逃れることが出来るのです。そういった努力すらできず、無責任だった自分の過去と向き合う覚悟すら持たず、大卒資格を手に入れたいという人間がどうしてその後の人生で努力できるというのでしょうか。普通に考えたら理にかなってません。

 もちろん例外は存在します。大学入学後に自分の至らなさを自覚し、自分という人間が何者であるのか探求しようとする学生もいなくはないです。そういう人間は、大学生活を充実させ更に就職活動を通じて自分に対する解像度をさらに高めていき、希望する職に就いていきます。新卒求人の大部分が「大卒資格」以上のものを求めていない以上、理論上はFラン大生にもそういった可能性も残されています。

 ただ、「理論上は」というのは所詮理論上の話にすぎません。現実的にはほとんどの場合気付いたらFランに入学していて、気付いたら3年生になっていて、気付いたら本選考が始まって、気付いたらブラック企業に入社するか内定のないまま卒業します。そういうものなのです。社会的にFランに入学すると基本的にハンデを抱えることに繋がる、にもかかわらずFラン大学に入学する人間などろくな人材ではないことを誰もが経験則的に知っているのです。大卒資格にこだわりを持つ割に受験で必死にならないFラン大学生を社会が積極的に受け入れない理由はそれなりに妥当性を持つのです。

 色々言い訳してるけどどうせ勉強から逃げただけでしょ、どうせやりたい事なんてないんでしょ、どうせ無気力に日々を過ごしてるんでしょ、どうせ今後も嫌なことから逃げ続けるんでしょ……真に向上心を持つFラン大生はこういったスティグマと戦い続けながら自らの進むべき道を定めていかなければなりません。

 ただ、本人に覚悟さえ決まっていれば戦う価値はあると思うのです。大多数のFラン大生は「どうせ俺は」という気持ちに圧倒されて何もしないまま卒業していきます。社会に就活という形で一泡吹かせたいFラン大生も中には存在するはずです。だって、ほとんどの場合新卒採用は「大卒資格」以上のものは求められていないのですから。「理論的には可能」という社会の建前に真に挑戦したいと願っているFラン大生も存在するはずです。

 中には前述の通り大学に入ってから自分の立ち位置に真に危機感を覚えた人もいるはずです。中には共通テストに失敗してやむを得ず地方のFラン大学に入った人もいるはずです。中には本当に究めたい何かがあってFラン大学に入学した人もいるはずです。

 近年の共通テストの無意味な難化傾向に伴い、不本意にFラン大学へ入学してしまった方は増えていると思います。あるいは奨学金のためにFラン大学に入学した方、あるいは(本当に存在するか分かりませんが)自分のやりたいことを極めるためにFラン大学に入学したはいいものの就職活動を行わざる得ない方もいるでしょう。そういう人たちのためMBTIタイプ別に今後大学生としてどのようにふるまっていくべきか、考えていきたいと思います(続く)

 

SJタイプ編更新しました

 

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